高岡城跡の本丸跡に位置。旧国幣中社。祭神は瓊瓊杵尊(二上神)。「延喜式」神名帳の射水郡一三座の筆頭に射水神社が記されている。雲州本には「名神大」とあり、越中国式内社中唯一の大社とみなされている。しかし射水神社の名は他の古代史料にはまったく登場しない。一方、貞観元年(八五九)に正三位に昇叙した二上神は(「三代実録」同年一月二七日条)、「延喜式」神名帳には記載がない。このことから近世には二上神と射水神とは一体と考えられるようになり、「越中国式内等旧社記」は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山県高岡市古城に鎮座。祭神は二上神(ふたかみのかみ)。『万葉集』にも詠まれた二上山の山麓(さんろく)に創建されたと伝えるが、年代は不詳。「いみず」は忌水すなわち神聖な川の意で、富山県北西部の地域名である。『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に成務(せいむ)天皇の代に宗我(そが)(蘇我)氏と同祖の武内宿禰(たけしうちのすくね)の孫大河音足尼(おおかわとのすくね)が伊弥頭国造(いみずのくにのみやつこ)に定められたとあり、二上神はその祖神であるともいわれる。780(宝亀11)12月従(じゅ)五位下に叙し、累進して清和(せいわ)天皇の859年(貞観1)に正三位(しょうさんみ)を授かり、『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社に列している。旧国幣中社。1875年(明治8)に二上山麓から現社地(高岡城本丸跡)に遷座。例祭4月23日。旧社地にある射水神社は、氏子の願いによって祀(まつ)られた分社であったが、1896年独立、平安中期の男神坐像(ざぞう)(国の重要文化財)を所蔵し、古風な筑山(つきやま)神事を伝えている。
[菟田俊彦]
富山県高岡市古城公園に鎮座。もと北方の二上山の麓にあったが,1875年現在地に遷座した。二上山は双峰の霊山で,二神の山と仰がれ,神社も二上(ふたがみ)神社あるいは二上権現と呼ばれたが,《延喜式》には〈射水神社〉とある。伊弥頭(いみず)国造の祖神をまつるといわれるが,いまは祭神名を二上神としている。早くから記録にあらわれ,859年(貞観1)には正三位の神階に昇り,延喜の制では名神大社に列した。後に越中の一宮となったこともある。旧国幣中社。例祭は4月23日。旧社地の二上にある射水神社分社は1954年に独立,4月23日の春祭には古風な築山神事を行う。平安中期の作とされる男神座像は重要文化財。
執筆者:小倉 学
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