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小イギリス主義 しょうイギリスしゅぎLittle Englandism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小イギリス主義
しょうイギリスしゅぎ
Little Englandism

イギリスの植民地主義的な領土拡張に反対し,あるいは植民地に対するイギリス本国の責任や負担をできるだけ少くしようとする主義。南アフリカ戦争前後に強調された政策で,貿易を重視するマンチェスター派がこの見解をとった。 W.グラッドストン自由党は伝統的に小イギリス主義を基調とし,19世紀中葉から自由貿易主義と結びつき植民地主義を押えた。 1870年代以降保守党の主張する帝国主義が有力となり,自由党内にも帝国主義的植民地政策を主張する自由帝国主義者のグループが生じ,J.モーリーロイド・ジョージなど小イギリス主義者と南アフリカ戦争の評価をめぐって対立した。

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百科事典マイペディアの解説

小イギリス主義【しょうイギリスしゅぎ】

19世紀中期,英国の帝国主義的な領土拡張に反対し,植民地紛争による財政負担の増加を避けることを主張した立場。マンチェスター学派の自由貿易主義者の主張に基づくもので,自由党は伝統的にこの立場を保持し,グラッドストン,キャンベル・バナマン,ロイド・ジョージなどが中心となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうイギリスしゅぎ【小イギリス主義 Little Englandism】

帝国主義的領土拡大に反対するイギリス国内の政治的立場をさす。帝国維持費の負担への嫌悪などからする帝国拡大反対論は,大英帝国全史を通じて存在した。たとえば,中・小地主を主体とした18世紀初頭のトーリー派は重商主義戦争に強く反対したし,〈小イギリス主義〉という言葉そのものは,1890年代初頭,時の外相ローズベリーによって初めて使われたものである。しかし,この考え方が反対派の少数意見ではなく,むしろ多数派=主流派の見解となったのは19世紀前半から中葉にかけて,イギリスのみが工業化され,圧倒的な生産力を誇った時代である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小イギリス主義
しょういぎりすしゅぎ
Little Englandism

19世紀末のイギリスにおいて、植民地拡大を避けて本国の財政負担を軽減しようとするグラッドストーンら自由党の政策基調をさす。このことばは、アフリカへの帝国主義的膨張政策がイギリス国民に熱狂的に支持されていた当時、その政策に反対する考え方への蔑称(べっしょう)としてジャーナリズムで広く用いられた。とくに1895年の総選挙では、この立場をとる自由党内のハーコートWilliam Vernon Harcourt(1827―1904)やモーリーJohn Morley(1838―1923)が落選し、小イギリス主義者の敗北と評された。のちに歴史家は、19世紀中葉の時期を象徴することばとして使った。しかし、最近では、同時期におけるインドの直轄植民地化や中国などでの非公式な帝国拡大の試みなどにかんがみ、19世紀中葉が小イギリス主義の時期であったということは「神話」であるとみなされるに至った。[石井摩耶子]

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世界大百科事典内の小イギリス主義の言及

【イギリス】より

…議会においては,自由党が終始保守党を抑えて多数党を形成し,自由貿易の体制を完成の域へともたらした。同様に大英帝国の問題についても,植民地分離論が広く唱えられ,自由貿易に即応する小イギリス主義の考えが支配的となった。 だが,このようにイギリスが,世界の最先進国として〈世界の工場〉となり,自由貿易の体制が確立して自由党の支配が続いたからといって,この繁栄の時代に,地主階級に代わってブルジョア階級が政治の支配者になったわけではない。…

※「小イギリス主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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