出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市右京区西部の山。標高295m。古生層からなり,南東に長くのびた標高70~80mの尾根を亀山(亀の尾山)という。嵯峨野の西端を画し,西側と南側は保津川が深い峡谷(保津峡)を形成している。もとは対岸の嵐山と合わせて小倉山と呼ばれ,平安時代以来の紅葉の名所である。清凉寺(釈迦堂),二尊院は嵯峨上皇,天竜寺は後嵯峨上皇ゆかりの地であり,清凉寺南西にはかつて嵯峨上皇の后檀林皇后が営んだ檀林寺があった。このほか,東麓一帯には平安時代以降の史跡や名刹が多い。現在,北麓を嵐山・高尾パークウェー(有料道路)が通じている。
執筆者:金田 章裕
《古今集》巻五の紀貫之の歌〈夕月夜小倉の山になく鹿の声のうちにや秋は暮るらむ〉や《小倉百人一首》所収の藤原忠平の歌〈小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ〉など,古来多くの歌に詠まれている。東麓に藤原定家の山荘時雨(しぐれ)亭の跡という厭離(おんり)庵がある。同庵近くの落柿舎(らくししや)は向井去来の別荘であり,芭蕉はここで《嵯峨日記》を書いた。
執筆者:奥村 恒哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市右京区嵯峨(さが)にある山。標高295メートル。保津(ほづ)川の京都盆地への出口に近い北岸に位置し、南岸の嵐山(あらしやま)と相対する。山頂からは保津川の峡谷美を見下ろし、古来、サクラ、紅葉の名所として知られ、歌枕(うたまくら)としても名高い。東麓(とうろく)の嵯峨野から、北東麓の仇野(あだしの)にかけては史跡が多い。東麓の天竜寺は臨済(りんざい)宗天竜寺派の大本山で、夢窓国師(むそうこくし)作庭と伝える庭園は史跡・特別名勝に指定されている。背後の小倉山の一部は、亀山とよばれる。天竜寺の北には、俳人向井去来(むかいきょらい)が閑居したという落柿舎(らくししゃ)をはじめ、二尊院(にそんいん)、祇王寺(ぎおうじ)などがある。
[織田武雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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