二尊院(読み)ニソンイン

デジタル大辞泉 「二尊院」の意味・読み・例文・類語

にそん‐いん〔‐ヰン〕【二尊院】

京都市右京区にある天台宗の寺。山号は小倉山。承和年間(834~848)嵯峨上皇の勅によって創建開山円仁釈迦しゃか阿弥陀の二尊を本尊とする。はじめ天台・真言浄土の四宗兼学で、法然が住して以来念仏の根本道場となり、明治に入って現宗に改宗。法然廟、角倉了以伊藤仁斎らの墓がある。二尊教院華台寺。

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精選版 日本国語大辞典 「二尊院」の意味・読み・例文・類語

にそん‐いん‥ヰン【二尊院】

  1. 京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町にある天台宗の寺。山号は小倉山。承和八年(八四一嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が創建。二尊教院華台寺と称した。釈迦・阿彌陀の二尊像を本尊とする。法然が中興。天台・真言・律・浄土の四宗兼学の道場として栄えた。応仁の乱で焼失したが永正年間(一五〇四‐二一三条西実隆により再興された。阿耨菩提(あのくぼだい)寺。

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日本歴史地名大系 「二尊院」の解説

二尊院
にそんいん

[現在地名]右京区嵯峨二尊院門前長神町

小倉おぐら山の東麓に位置する。小倉山と号し、天台宗。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建伝承〕

承和年中(八三四―八四七)嵯峨天皇が円仁に勅して創建、釈迦如来阿弥陀如来の二尊を本尊とすることから正称を二尊教院華台かだい寺と号したのに始まる。しかし別説もあり、二尊院縁起は、承和年中に嵯峨天皇が当地に阿弥陀如来を本尊とする華台寺と、釈迦・弥陀二尊を本尊とする二尊教院を建立したという。

〔法然の再興〕

その後久しく荒廃していたが、法然が九条兼実の協力を得て中興(雍州府志)。のちに法然の高弟湛空が土御門・後嵯峨二帝の戒師となって、堂宇も興隆した。なお九条稙通の「嵯峨記」の一節に「爰法然上人求幽閑之地此霊跡精舎仏道二尊院是也、其後正信上人湛空再興」とみえる。


二尊院
にそんいん

[現在地名]油谷町大字向津具下 久津湊

真言宗御室派。竜伏山と号し、本尊は釈迦如来と阿弥陀如来の二尊。

寺伝に大同二年(八〇七)伝教大師の創建といい、もと天台宗であった。大津郡内の古刹で、現長門市俵山の能満たわらやまののうまん寺の応永三一年(一四二四)の文書および現日置へき町鎮座の日置八幡宮の延徳四年(一四九二)の文書にその名がみえる。釈迦如来は像高三尺二寸五分、阿弥陀如来は同三尺二寸六分、いずれも寄木造彩色玉眼入りで、光背・台座はともに後補であるが、本体は鎌倉時代の作として、重要文化財の指定を受ける。

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改訂新版 世界大百科事典 「二尊院」の意味・わかりやすい解説

二尊院 (にそんいん)

京都市右京区嵯峨の小倉山のふもとにある天台宗の寺。山号は小倉山。承和年間(834-848)慈覚大師が嵯峨天皇の命で創建したと伝え,釈迦と阿弥陀の二尊を本尊にしたのが寺名の由来という。鎌倉時代,浄土宗の宗祖法然が当寺に拠って念仏をひろめ堂舎を復興し,そのあと弟子の湛空,叡空らが継ぎ,天台・真言・律・浄土四宗兼学の寺となり,代々の住持で天皇の戒師となるものも多く,寺勢も盛んとなった。南北朝の内乱と応仁の乱で焼失したが,それぞれ足利義教や三条西実隆らの尽力で再興された。江戸時代には寺領320石,多くの公家や上層町衆の帰依を受けた。寺域内に法然廟をはじめ,二条,鷹司(たかつかさ),三条西家らの公家,伊藤仁斎・東涯父子,角倉了以(すみのくらりようい)・素庵父子らの墓がある。重要文化財の寺宝も多いが,本尊釈迦・阿弥陀二像(鎌倉時代),法然上人画像(〈足曳の御影(あしびきのみえ)〉),三条西実隆画像,法然上人七ヵ条制法などがとくに名高い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二尊院」の意味・わかりやすい解説

二尊院
にそんいん

京都市右京区嵯峨(さが)二尊院門前長神町にある天台宗の寺。正しくは小倉山(おぐらやま)二尊教院華台寺(けたいじ)。本尊に釈迦(しゃか)、阿弥陀(あみだ)の二尊を祀(まつ)るところから二尊院の名がある。円光大師(法然(ほうねん)源空)二十五か所霊場第17番札所。承和(じょうわ)年間(834~848)嵯峨上皇が円仁(えんにん)に創建させたという。天台・真言・律・浄土の四宗兼学の道場。その後、衰微したが、法然が一時住し、弟子湛空(たんくう)(1176―1253)が再興に努め、のち荼毘(だび)に付された法然の遺骨を迎え、念仏の根本道場となった。応仁(おうにん)の乱(1467~77)の兵火にかかったが、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)父子により再建された。維新後、浄土宗から天台宗となった。山腹には法然廟所(びょうしょ)、二条・鷹司(たかつかさ)・三条西家歴代、角倉了以(すみのくらりょうい)父子、伊藤仁斎、去来(きょらい)などの墓がある。本尊の木造釈迦・阿弥陀如来(にょらい)像(鎌倉時代作)、絹本着色逍遙(しょうよう)院実隆像、同称名院公条像、同浄土五祖像、同十王像、同釈迦三尊像、同法然上人(しょうにん)像(足曳(あしびき)の御影)、法然上人七ヶ条制法、『法門妙義』は国重要文化財。また石造旧三帝陵三基などがある。

[田村晃祐]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二尊院」の意味・わかりやすい解説

二尊院
にそんいん

京都市右京区にある天台宗の寺。本尊として釈尊と阿弥陀仏を安置しているので二尊院という。嵯峨天皇が蓮台寺に二尊教院を建てたのが初めとする説がある。のち建築物は失われたが,法然がここに庵室を造ったので,法然を開山とする。応仁の乱で焼かれたが,明治になって三条家が修理した。嵯峨天皇,土御門天皇などの塔,伊藤仁斎,東涯の墓などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「二尊院」の解説

二尊院〔山口県〕

山口県長門市にある寺院。真言宗御室派。山号は竜伏山。寺伝では807年創建とされる。毛利家の祈祷所。楊貴妃の墓といわれる五輪塔がある。本尊の木造阿弥陀如来立像、木造釈迦如来立像は国の重要文化財に指定。

二尊院〔京都府〕

京都府京都市右京区にある寺院。天台宗。正称は「小倉山二尊教院華台寺(けたいじ)」。承和年間(834~848)の創建とされる。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来(いずれも重文)。

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世界大百科事典(旧版)内の二尊院の言及

【浄土宗】より

…京都で勢力があったのは証空とその門流であり,最長老の信空なき後,主導権を掌中に収めていった。しかし信空と親しい湛空(たんくう)が二尊院を拠点に嵯峨門徒を擁し,いま一つの勢力をなしていた。二尊院は東山大谷の法然廟堂が知恩院として発展するまでの,法然滅後約1世紀半の間の京都における法然信仰の中心地であった。…

※「二尊院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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