岐阜県中東部、益田郡(ましたぐん)にあった旧町名(小坂町(ちょう))。現在は下呂(げろ)市の北東部を占める一地域。1898年(明治31)町制施行。2004年(平成16)萩原(はぎわら)、下呂、金山(かなやま)の3町および馬瀬(まぜ)村と合併、市制施行して下呂市となる。旧小坂町は、小坂川が飛騨(ひだ)川(益田川)に注ぐ地点を中心とし、町並みは飛騨川東岸の段丘上にあって街村状に発達する。全面積の97%が山林で、広大な国有林を抱え、国有林事業に依存する者が多い。県内有数の木材の産地だが、ヒノキの造林地は特別天然記念物のニホンカモシカの食害による大きな被害を受け、1980年代には捕獲対策も打ち出された。JR高山本線が通じ、飛騨小坂駅は木曽ヒノキなどの積出し駅で、御嶽(おんたけ)山登山口にあたる。国道41号が走る。区域は御嶽山頂に達し、標高約1800メートルの山腹に濁河温泉(にごりごおんせん)、山麓(さんろく)に下島(したじま)、湯屋(ゆや)の温泉があり、3温泉は国民保養温泉地(小坂温泉郷)に指定されている。また、小坂は根尾の滝をはじめ、滝が多いことで知られている。小坂郷土館もある。
[上島正徳]
『『岐阜県小坂町誌』(1965・小坂町)』
秋田県北東部、鹿角郡(かづのぐん)にある町。北部は青森県に接する。1914年(大正3)町制施行。1955年(昭和30)七滝(ななたき)村と合併。国道282号と東北自動車道が町域の西部を並行し、小坂、小坂北インターチェンジがある。小坂ジャンクションで東北自動車道から秋田自動車道が分岐する。十和田湖(とわだこ)に沿って国道454号が走る。江戸時代は南部氏盛岡藩領で、藩営の小坂鉱山があり、その後鉱山町として消長を繰り返してきた。地下資源が豊富で、小坂鉱山のほか相内鉱山(あいないこうざん)、鉛山鉱山(なまりやまこうざん)、古遠部鉱山(ふるとおべこうざん)があり、金、銀、銅、鉛、亜鉛を産出する。1980年の粗鉱採掘量は約68万トン、鉱山従事者は約1300人を数えたが、資源の枯渇と安価な外国産鉱におされ、鉱山の閉山が相次いだ。現在は輸入鉱を用いた製錬所や金属資源リサイクル工場などが稼動している。農業は米作、野菜栽培、畜産などを行う。北東部には十和田湖がある。湖岸一帯は十和田八幡平(はちまんたい)国立公園域で、町の中心部から十和田湖大館樹海ラインが通じる。木造の芝居小屋「康楽館」と、洋館「旧小坂鉱山事務所」は明治時代の建造物で、ともに国の重要文化財に指定されている。面積201.70平方キロメートル、人口4780(2020)。
[宮崎禮次郎]
『『小坂町史』(1975・小坂町)』
秋田県北東端,鹿角(かづの)郡の町。人口6054(2010)。鹿角盆地北部を占め,小坂川中流部を除いては山地が多く,北東部に十和田湖がある。東北自動車道のインターチェンジがある。中心集落の小坂には大館から小坂鉄道が通じていた(1994年旅客営業廃止。2008年貨物輸送廃止)。1861年(文久1)に小坂鉱山が発見されてから発達し,明治末期から大正初期には人口3万人近くを数えた。その後一時衰微したが,1959年内ノ岱(うちのたい)に黒鉱の新鉱床が発見され,再び活気を呈するようになった。昭和60年代まで4鉱山があったが,急激な円高や鉱量の涸渇などによりすべて終掘となった。農業は稲作を中心にイチゴ栽培,肉牛の放牧も行われている。十和田湖南岸の生出(おいで)は通称和井内で,和井内貞行がヒメマスの孵化(ふか)事業に尽力した地である。
執筆者:佐藤 裕治
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