日本歴史地名大系 「小谷城跡」の解説
小谷城跡
おだにじようあと
戦国時代、浅井氏が小谷山に築いた居城の跡。昭和一二年(一九三七)国の史跡に指定された。南方に
〔歴史〕
小谷城の創建について「浅井三代記」は永正一三年(一五一六)のことと伝え、「十日計カ間ニハヤ堀土手総構出来シレバ」と記すが、確かなことは不明。しかし浅井亮政が京極家の重臣上坂信光を失脚させ同家の実権を掌握したのは大永三年(一五二三)三月のことで、まもなく、亮政は京極高清・高延父子を京極丸に迎えていることから、遅くとも同四年頃までには城は完成していたものと推定され、延宝七年(一六七九)の実宰庵縁起(実宰庵文書)には「浅井父子相共尊尚於屋形、即於小谷城中選地、相攸新殿閣、以為屋形之居、人謂之京極
小谷城跡
こだにじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報