屋島のほぼ中央に位置する南嶺山上にある。南面山千光院と号し、真言宗御室派、本尊千手観音。四国霊場八十八ヵ所の第八四番札所で、御詠歌は「あづさ弓やしまの宮にもうでつついのりをかけていさむもののふ」。
屋島寺竜厳勧進帳によれば、天平勝宝六年(七五四)唐僧鑑真が来山、堂宇を建立し普賢菩薩を安置。弘仁元年(八一〇)空海が千手院を建立という。「本朝高僧伝」には、鑑真の弟子慧雲が奈良東大寺戒壇院から当寺に移り、第一世となって少年の空海に教授したとある。千光院の梵鐘銘によれば、沙門蓮阿弥陀仏が群生済度のため千光院に梵鐘奉納を発願、承久元年(一二一九)京都
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〈やしまじ〉ともいう。香川県高松市にある真言宗御室(おむろ)派の寺。南面山千光院と号し,四国八十八ヵ所観音霊場の第84番札所。開基は鑑真(がんじん),のち810年(弘仁1)空海(弘法大師)が中興して伽藍を造営し,自刻の千手観音像を安置したという。平安時代は山岳仏教の寺院として栄えた。1183年(寿永2)安徳天皇を奉じた平家一門が当寺に拠り,悪七兵衛景清(平景清)と水保谷四郎(みおのやのしろう)の錣引(しころびき)のあと,那須与一の祈り岩,安徳天皇社,佐藤継信の墓など,付近にそのゆかりを伝える古跡が多い。中世には寺勢衰えたが,近世には寺領50石,歴代高松藩主が保護を加え,伽藍も幾度か修造されて明治に至った。瀬戸内海を見渡す遠望は雄大で,堂宇も本堂(重要文化財)以下,大師堂,釈迦堂,千体堂,五層塔,客殿,庫裏,二王門などがある。おもな寺宝に本尊千手観音像(重要文化財),ほかに《源平合戦図》《八島合戦縁起》など源平合戦に関するものが多くある。
執筆者:藤井 学
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香川県高松市屋島東町にあり、四国八十八か所第84番札所。真言(しんごん)宗御室(おむろ)派に属す。南面山千光院と号する。奈良時代に鑑真(がんじん)が創建し、810年(弘仁1)空海が再建したと伝えられる。1185年(文治1)平宗盛(むねもり)ら平家の一族が安徳(あんとく)天皇を奉じて当地に逃れ、戦いに敗れた古戦場(屋島の戦い)として有名である。江戸時代に大いに復興し、明治時代には諸堂・境内が修理・整備された。現に本堂(国重要文化財)、御影(みえい)堂、大師堂、仁王(におう)門などがあり、寺宝には木造千手観音坐像(せんじゅかんのんざぞう)、梵鐘(ぼんしょう)(国重要文化財)のほか、源平の合戦にゆかりのものが多い。寺域は屋島台上にあって備讃(びさん)内海の眺望がよく、観光地としても世に知られている。
[勝又俊教]
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