立石寺記録(立石寺文書、以下明記しない史料は同文書)によれば、開山は近江延暦寺三代座主慈覚大師円仁、諸院のうち
貞観六年に没した円仁の遺骨は立石寺に運ばれ、現在入定窟とよばれている岩窟に安置されたと伝えるが、入定窟は天養元年(一一四四)の如法経所碑の銘文により、当時すでに大師の納骨霊窟と信じられていたことが知られる。慈覚大師の遺骨が安置された頃から、霊窟を中心にして立石寺の寺容がしだいに整えられた。立石寺根本中堂木造薬師如来坐像銘に元久二年(一二〇五)中堂を修復し、本尊ほか日光・月光両菩薩像を造立したとある。中堂の法灯も延暦寺から移され、永正一八年(一五二一)の湯殿山大権現写(土屋文書)に「立石寺ニ山王廿一社」があったとみえ、比叡山にならって山王二十一社が勧請されていた。
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山形市にある天台宗の寺。山号は宝珠山。俗に山寺(やまでら)と称される。860年(貞観2)慈覚大師円仁の開山と伝え,東北屈指の慈覚大師信仰と庶民信仰の霊山である。慈覚大師入滅の地は比叡山とされるが,当寺でも山頂南面の絶崖にある岩窟が大師の入定(にゆうじよう)窟とされている。1144年(天養1)にはその霊窟上部に如法経所碑(重要文化財)が建てられた。その碑文では弥勒信仰に慈覚信仰が重ね合わされている。また日蓮の書状は〈御頸は立石寺にあり〉との鎌倉時代の風聞を伝えており,分骨埋葬説が有力である。今も霊窟に眠る頭部彫刻や遺骨の一部がそれとされる。霊窟周辺の岩窟から,納骨した木製五輪塔など鎌倉時代の遺品も発掘され,死者の霊のかえる山として,この風習は今なお歯骨や卒塔婆,後生車が納められ息づいている。江戸時代には朱印寺領1420石,衆徒18ヵ寺,坊跡12坊,末寺3ヵ寺,門徒2ヵ寺を抱える大寺であった。全山いたるところ風水食による岩穴や奇岩に満ち,松尾芭蕉も訪れた景勝地で,現在も根本中堂,三重小塔(ともに重要文化財)など多くの伽藍諸堂が点在する。
執筆者:竹田 賢正
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山形市山寺(やまでら)にある天台宗の寺。山号は宝珠山(ほうじゅさん)。山寺と通称される。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。芭蕉(ばしょう)が『おくのほそ道』に「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」を詠んだ寺として有名である。860年(貞観2)清和(せいわ)天皇勅願により比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の別院として慈覚大師円仁(えんにん)が創建した。延暦寺根本中堂の法燈(ほうとう)を分燈しており、叡山の法燈が織田信長の焼打ちによって消えたとき、立石寺から再建の燈火が移されている。室町末期に兵火により焼失したが、天文(てんぶん)年間(1532~55)最上義守(もがみよしもり)、一相坊円海らによって再建中興され、関東北の霊場として信仰の中心となった。寺伝によると、全盛期の江戸初期には2800石の朱印地を有し、僧房100寺、僧侶(そうりょ)300余人を有したという。35万坪(115ヘクタール)の宝珠山全山が境内で、史跡名勝、県立公園とされ、40余の堂塔が散在して深閑の趣(おもむき)ある寺容である。中堂(根本中堂)は1356年(正平11・延文1)山形城主斯波兼頼(しばかねより)が再建建立したもの、本尊の薬師如来坐像(ざぞう)は慈覚大師作と伝えられる。また、1144年(天養1)入阿大徳(にゅうあだいとく)と同法5人が『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』1部8巻を書写して慈覚大師入定窟(にゅうじょうくつ)の岩頭に納めた天養(てんよう)元年如法経所碑があり、以上いずれも国重要文化財に指定されている。
[中山清田]
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山形市山寺(やまでら)にある天台宗の寺。宝珠山と号す。通称は山寺。寺伝によれば,860年(貞観2)円仁の創建。鎌倉時代には,幕府の支配をうけたらしく,当寺の院主・別当両職の任命権は幕府にあった。1520年(永正17)伊達氏の天童(てんどう)攻めの折,一山炎上。43年(天文12)円海が復興。江戸時代に寺領1420石。1689年(元禄2)芭蕉が当寺を訪れた。寺宝の木造薬師如来坐像・如法経所碑は,いずれも重文。国名勝・国史跡。
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…この寺は市中の寺院ではあるが,智光曼荼羅のために霊場化し,盛んに納骨がおこなわれて,竹筒型蔵骨器や羽釜型蔵骨器,柄杓型蔵骨器などが出ている。山形市郊外の山寺立石(りつしやく)寺は洞窟への納骨が盛んであったが,今は奥之院で納骨を受け付けている。【五来 重】。…
…磐次磐三郎とも書き万治(次)万三郎ともいう。仙台市西方奥羽山脈を越える二口峠に磐司巌(ばんじいわ)と呼ぶ巨岩が対立した場所があり,ここが磐司磐三郎の住処であったと伝え,また山形県立石(りつしやく)寺の山中を狩場としたともいう。この伝承は,もと次郎・三郎と呼ばれる2人の狩人があり,一方は山の神を援助してその礼に獲物を授けられ,他方はそれを断って山の幸を失ったという運勢の優劣を説明する神話の一類型であった。…
※「立石寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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