山田寺跡(読み)さんでんじあと

日本歴史地名大系 「山田寺跡」の解説

山田寺跡
さんでんじあと

[現在地名]各務原市蘇原寺島町

各務原台地の北西端に径約一二〇メートルの範囲で瓦類が散布し、蘇我倉山田石川麻呂創建伝承をもつ山田寺の寺跡と推定される。創建は出土瓦などから白鳳期後半と考えられる。この南西約二〇〇メートルには山田寺跡礎石群がある。一説には各務氏による創建ともいわれ、弘仁一四年(八二三)大僧都を辞した各務かかみ郡出身の護命が当寺に住したという(本朝高僧伝)遺構の発掘調査は行われていないが、現在の山田寺の北東約三〇〇メートルにある無染むぜん寺境内には、同寺西側の寺跡に埋存していたとされる塔心礎がある。塔心礎が発見された地点の北西からは鴟尾・瓦類が出土しており、金堂跡と推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「山田寺跡」の解説

やまだでらあと【山田寺跡】


奈良県桜井市山田にある寺院跡で、別称「浄土寺」。飛鳥の中心部を西に望む丘陵の周辺部に立地し、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)によって641年(舒明(じょめい)天皇13)に造営が始められた。塔、金堂、講堂跡の土壇や礎石が良好に保存されていることなどから、飛鳥時代の代表的な寺院として1921年(大正10)に国の史跡に、1952年(昭和27)には特別史跡に指定された。678年(天武天皇7)に鋳造された丈六仏像の頭部が興福寺に現存し、国宝に指定されている。発掘調査は1976年(昭和51)に開始され、その結果、南から南門、中門、塔、講堂が一直線上に配列された伽藍(がらん)であることが判明。金堂跡の調査では、礎石2個と礎石を据え付けた痕跡が12ヵ所見つかり、特異な柱配置をもつ建物であることが判明。塔跡は法隆寺の塔とよく似た規模と考えられ、中門は基壇のごく一部と建設時の足場穴がかろうじて残されていた。講堂は桁行6間、梁行2間の母屋に四面庇が付く桁行8間、梁行4間であることが確認され、南門は古代の寺院では類例がない「3間3戸」の形式であることが判明した。1982年(昭和57)には、東回廊の一部が倒壊して埋没し、柱や連子窓などがそのままの形で出土し、貴重な資料となった。近畿日本鉄道大阪線ほか桜井駅から奈良交通バス「山田寺前」下車徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android