江戸後期の南画家。岡田米山人(べいさんじん)の子として大坂に生まれる。名を粛、字(あざな)を子羽(しう)、通称を宇左衛門、のち彦兵衛と改める。半江はその号で、幼いころは小米(しょうべい)といった。父と同じく藤堂(とうどう)藩に仕えたが、左遷されて京邸(きょうやしき)に移されたのを機に致仕(ちし)(1822)し、大坂・天満(てんま)に住んで画業に専念。篠崎小竹(しのざきしょうちく)、頼山陽(らいさんよう)らの文人墨客たちと交遊往来、当時の大坂の代表的南画家であった。晩年には天保飢饉(てんぽうききん)の難を避けて住吉(すみよし)に隠棲(いんせい)、そこで、代表作『春靄起鴉図(しゅんあいきあず)』『住之江真景図』などの緻密(ちみつ)な筆致による潤いのある作品を生み出した。
[星野 鈴]
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