(星野鈴)
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江戸後期の南画家。名は国、字(あざな)は士彦(しげん)、通称は彦兵衛、米山人と号する。その前半生については不明。一説に播磨(はりま)国(兵庫県)剣坂村の庄屋(しょうや)安積(あさか)氏で、米を搗(つ)きながら学問し、大坂に出たともいわれる。1775年(安永4)には大坂で舂米屋(しょうまいや)をしており、画家としての名も世に知られていた。93年(寛政5)ごろにはすでに藤堂(とうどう)藩に仕え、大坂蔵屋敷留守居の下役となっている。当時の大坂の代表的文化人木村蒹葭堂(けんかどう)と親しく、また浦上玉堂(うらかみぎょくどう)、若年の田能村竹田(たのむらちくでん)とも相識であった。山水、花鳥ともに独特のユーモアと一種奇矯の感あるたくましい画風は、近年評価が高まっている。『松齢鶴算(しょうれいかくさん)図』『松下高士図』、大作では安積家の襖画(ふすまえ)『山水図』などが代表的である。
[星野 鈴]
江戸後期の文人画家。名は国,字は士彦。大坂で生まれ,家は代々米の商いを業としていた。米山人の号はそれに由来する。米をつきながら書を読んだと伝えられるほど学問を好み,のち伊勢の津藩の藤堂侯に仕える。絵は中国,元の四大家,とくに黄公望を学んだというが,後輩の田能村竹田の言葉を借りれば,〈書画とも非常に巧みというわけではないが,突然心の中から天然の趣致がわき出るかのごとき書画を作った〉という。浦上玉堂とはとくに親交があったらしい。
執筆者:佐々木 丞平
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