京都府北西部にある,日本海に向かって北東方向に突き出た半島。奥丹後半島あるいは与謝(よさ)半島ともいう。若狭湾の西側に位置し,南西部は丹後山地に接する。先端は高さ144m,光達距離29カイリの灯台がある経ヶ岬(きようがみさき)。半島のほぼ全体が地塁性の隆起準平原で,標高500~600mが浸食基準面となっている。最高所は大鼓山の683m。半島の付け根は,京丹後市の旧網野町網野付近から南東方向にのびる郷村(ごうむら)断層と,これにほぼ直交する形で宮津湾から南西方向へのびる山田断層とによって分断されている。海岸線も大半が急峻な断層性の岩石海岸であり,10~80m程度の海岸段丘が発達している。半島を北流して日本海に注ぐ宇川,竹野川は深い河谷を刻み,狭小な谷底平野がわずかに川沿いに存在する。半島北西部の日本海側には,銚子山古墳(旧網野町)や神明山古墳(京丹後市の旧丹後町)など全長200mに近い前方後円墳がある。また半島南東基部の与謝野町の旧岩滝町から宮津市にかけての一帯に丹後国府が設置されていた可能性があり(官衙跡や寺院跡が確認されている),古くはかなり重要な地域であったらしい。しかし,半島基部を除けば農耕に適した平たん地が少なく,冬季の積雪も多いため,近世以降出稼ぎの盛んな地域となり,とくに第2次大戦後の高度経済成長期以後は離村が著しい。1926年の北丹後地震による被害も大きかった。半島中部の京丹後市の旧峰山・旧大宮両町を中心とする一帯では,享保年間(1716-36)以来の歴史をもつ丹後縮緬(ちりめん)の生産が盛んである。また半島北東端の伊根町は古くからブリ漁中心の漁村で,海に面し1階を船小屋,2階を漁具置場および住居とする家屋群(船屋)は,独特な景観として知られている。
執筆者:金田 章裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都府北西部、日本海に向かって塊状に突出する半島。奥丹後半島、与謝半島(よさはんとう)ともいう。北東端の経(きょう)ヶ岬には76万燭光(しょっこう)の経ヶ岬灯台がある。半島はおもに花崗(かこう)岩と第三紀層からなり、また北東―南西、北西―南東に走る断層が交差し、地殻運動の激しかったことを示している。1927年(昭和2)には北丹後地震が発生し、大きな被害を受けた。一般に山がちで平地に乏しく、冬は積雪が多く、交通も不便なので、奥地では過疎化が著しく、すでに廃村となった集落もある。しかし冬の余剰労働力を利用して、古くから半島全域で農家の副業として機業が盛んであり、京丹後市の峰山(みねやま)町、網野(あみの)町を中心に丹後縮緬(ちりめん)の産地として知られる。海岸は懸崖(けんがい)をなし、冬の季節風によって漁業も阻まれるが、若狭(わかさ)湾に面する伊根(いね)はブリの好漁場をなし、半島随一の漁港。1962年(昭和37)丹後半島を一周する道路が開通し、風景美に恵まれた観光資源の開発が望まれている。海岸一帯は丹後天橋立大江山(たんごあまのはしだておおえやま)国定公園の一部となっている。
[織田武雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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