嵯峨本(読み)サガボン

デジタル大辞泉 「嵯峨本」の意味・読み・例文・類語

さが‐ぼん【××峨本】

慶長・元和(1596~1624)にかけて、京都の嵯峨本阿弥光悦角倉素庵すみのくらそあんらが刊行した版本。主に木活字を用い、用紙・装丁に豪華な意匠を施した美本で、「伊勢物語」「観世流謡本」など13点が現存する。光悦本角倉本

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精選版 日本国語大辞典 「嵯峨本」の意味・読み・例文・類語

さが‐ぼん【嵯峨本】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 近世初頭、角倉素庵と本阿彌光悦が印行した、木活字による書籍の総称。素庵が京都洛西嵯峨に住んだのでこの名がある。二人の名にちなんで「光悦本」とも「角倉本」とも呼ぶ。
    1. [初出の実例]「角倉(すみのくら)与市太秦(うづまさ)の僧に、史記、及、謡(うたひ)の本を開板(かいはん)せしむ。嵯峨本(サガホン)と云、是也」(出典:大和事始(1683)四)
  3. 五山版の一つ。中世、京都嵯峨の臨川寺で出版された書物宋版、元版の漢籍語録復刻が多い。嵯峨版。
    1. [初出の実例]「法華経、嵯峨本開板賃之事、被相訊」(出典:蔭凉軒日録‐永享七年(1435)一〇月一一日)

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改訂新版 世界大百科事典 「嵯峨本」の意味・わかりやすい解説

嵯峨本 (さがぼん)

江戸時代の初め,慶長13年(1608)から元和年間(1615-24)にかけ,洛西(京都西部)嵯峨の素封家角倉(すみのくら)素庵(光昌)が,寛永の三筆の一人本阿弥(ほんあみ)光悦の協力をうけて版行した私刊本の総称。開版者の名を冠して〈角倉本〉ともいい,版下が光悦の自筆またはその門流の手になるところから〈光悦本〉とも呼ぶ。まれには木版整版刷のものもあるが,大部分はひらがな交りの木活字本(古活字版)で,版式および装丁において,ほとんどその類を見ぬ特徴を有した。すなわち,平安時代の彩飾書写本の料紙,表装などに施された美術的意匠を印刷本に試み,その多くは本文用紙に雲母きらら)を引き,または雲母で模様を刷り込み,さまざまな色の紙を用い,表紙にも雲母で花鳥の文様をあらわし,または染色した豪華本で,なかにはすぐれた挿絵を入れたものもある(料紙装飾)。

 嵯峨本と呼称される現存資料には,《伊勢物語》10種,《伊勢物語聞書》(肖聞抄)2種2冊,《源氏小鏡》1種2冊,《方丈記》2種1冊,《撰集抄》2種3冊,《徒然草》6種2冊,《観世流謡本》9種100冊,《久世舞》(30曲本)1種1冊,《久世舞》(36曲本)1種1冊,《新古今和歌集抄月詠歌巻》2種1冊,《百人一首》2種1冊,《三十六歌仙》2種1冊,《二十四孝》1種1冊など13点あるが,うち《新古今和歌集》《三十六歌仙》《二十四孝》の3書は木版本で,他は光悦,素庵らの美筆を版下とした木活字本である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「嵯峨本」の意味・わかりやすい解説

嵯峨本
さがぼん

慶長(けいちょう)年間(1596~1615)後半期、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)およびその門流が、京都の嵯峨で、主として木活字を用いて出版した書物。出版地にちなみ嵯峨本と称するが、とくに光悦自ら版下を書いたものを「光悦本」という。嵯峨本は料紙・装丁などに豪華な美術的意匠を施した、わが国出版史上もっとも美しい書物として知られるが、流麗な平仮名交じりの木活字で印刷された一連の書物は、それまで写本でのみ伝えられてきた『伊勢(いせ)物語』『源氏小鏡(こかがみ)』『観世流謡本(かんぜりゅううたいぼん)』などで、ほとんどがわが国における重要な古典である。校訂作業も古典学者中院通勝(なかのいんみちかつ)らがあたったのですこぶる精密で、テキストとしての学術的価値はきわめて高い。

[金子和正]

『和田維四郎著・刊『嵯峨本考』(1916)』『川瀬一馬著『嵯峨本図考』(1932・一誠堂書店)』『表章・江島伊兵衛編『図説光悦謡本 解説篇』(1970・有秀堂)』


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百科事典マイペディア 「嵯峨本」の意味・わかりやすい解説

嵯峨本【さがぼん】

江戸初期,京都嵯峨の素封家角倉素庵(すみのくらそあん)(角倉了以の子)が本阿弥光悦の協力のもとに刊行した私刊本の総称。角倉本,光悦本ともいう。雲母(きらら)を刷り込んだ美しい用紙にかな文字の木活字を用いた美術的価値の高い印刷物。《観世流謡本》《伊勢物語》《徒然草》その他が現存。
→関連項目古活字版

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「嵯峨本」の意味・わかりやすい解説

嵯峨本
さがぼん

江戸時代初期,慶長 10 (1605) 年頃~慶長末頃に,京都嵯峨で出版された版本。本阿弥光悦を中心とし,門下の角倉 (すみのくら) 素庵らの協力によって成ったため,光悦本,角倉本とも呼ぶ。木活字本が多いが,木版整版刷もあり,版下を光悦が書き,本文,表紙には色紙を用い,雲母 (きらら) の模様を出すなど,日本の印刷文化史上最も美術的な版本として有名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「嵯峨本」の解説

嵯峨本
さがぼん

江戸初期,本阿弥光悦らによって京都の嵯峨で出版された豪華本
光悦みずから版下を書き,料紙や装丁に美術的な意匠をこらしたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の嵯峨本の言及

【浮世絵】より

…近世に入ると,そうした信仰上の要請や布教の便宜のために用いられるばかりでなく,純然たる鑑賞用としての版画が生まれることになる。その早い例が,慶長年間(1596‐1615)の後半から元和年間(1615‐24)にかけて本阿弥光悦や角倉素庵ら京都の町衆が出版した版本,いわゆる〈嵯峨本〉の挿絵である。《伊勢物語》(1608刊)や《百人一首》(慶長年間刊)の挿絵は,大和絵風の素朴な墨摺絵で,技術的にはなお未熟ながら,一流の町衆文化人により企画されただけに優雅な趣を備えるものであった。…

【謡本】より

…宗が書写または出版した謡本は〈車屋本(くるまやぼん)〉と呼ばれる。1605‐15年には当時の謡の主流であった観世流の謡本がつぎつぎに出版され,特に桃山文化の逸品とされる豪華な〈光悦本〉(嵯峨本。100冊100番で一揃い)が著名。…

【絵本】より

…その境めの安土桃山時代初めに民衆画が現れて御伽(おとぎ)草子類を飾り,庶民に奈良絵本として売られたと考えられる。やがて印刷が始まり,衆に先がけて京都の角倉了以が本阿弥光悦とともに,いわゆる嵯峨本を刊行し(1608),その挿絵は以後の印刷本の見本になった。ヨーロッパでコメニウスが教育的図鑑《世界図絵》(1658)を出版したのにややおくれて,京都の儒者中村惕斎(てきさい)は同様の考えから《人倫訓蒙図彙(きんもうずい)》(1666)を著し,多くの追随者を生んだ。…

【本阿弥光悦】より

…金銀泥の下絵を施した料紙に調和した装飾美溢れる作品があり,おもなものに,〈木版下絵和歌巻〉〈四季草花和歌巻〉〈立正安国論〉などがあげられる。また角倉了以と協力して刊行した豪華な〈嵯峨本〉と呼ばれる,謡本や伊勢物語などの古典の一連の版本が名高い。琳派【木下 政雄】。…

【料紙装飾】より

… 平安時代以降,料紙装飾は全般に衰退してゆくが,安土桃山時代に至って中興の祖としてきわだつ存在となったのが本阿弥光悦である。みずからの書の料紙は華麗であり,また彼の協力で角倉素庵が刊行した〈嵯峨本(光悦本,角倉本)〉は,《源氏物語》などの古典や謡本を木活字で刷ったものだが,その料紙は具引きした紙に光悦の意匠した絵画的文様を雲母で刷って表している。また光悦の巻子本,色紙,短冊などの下絵は俵屋宗達が描いたといわれる。…

【琳派】より

… 刀剣の鑑定,磨砺(まれい),浄拭を業とする上層町衆の家に生まれた光悦は,寛永三筆の一人に数えられる書家であり,陶芸や漆工の分野でもたぐいまれな作品を遺した。また,雲母摺(きらずり)料紙装飾をともなった豪華な装丁のもとに日本の古典文学を出版した嵯峨本や,1615年(元和1)徳川家康から拝領した鷹ヶ峰の地に営んだ光悦村と呼ばれる芸術村など,傑出した芸術指導者としての一面ももっていた。琳派における総合性は光悦に端を発するものである。…

※「嵯峨本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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