コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

二十四孝 ニジュウシコウ

デジタル大辞泉の解説

にじゅうし‐こう〔ニジフシカウ〕【二十四孝】

中国で古来有名な孝子24人の称。虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝曽参(そうしん)閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁(ゆけんろう)・老莱子(ろうらいし)・蔡順・黄香・姜詩(きょうし)・王褒(おうほう)・丁蘭・孟宗黄庭堅のこと。
(廿四孝)「本朝廿四孝」の略称。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

二十四孝【にじゅうしこう】

中国古来の代表的な子24人の伝記と詩とを記した教訓書。元の郭居敬の原作といわれる。虞舜(ぐしゅん)を筆頭に呉孟,王祥,郭巨,老莱子,孟宗(もうそう),黄庭堅らの24人。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

にじゅうしこう【二十四孝 èr shí sì xiào】

中国,五帝の一人の舜から宋の黄庭堅までの24人の孝子たち。その物語は元代以後,あるいは巻首に《孝経》をそえて,あるいは挿絵をともなう幼童の読物として出版が繰り返された。元の郭守正が集めたともいわれるが,原作者についてはよくわからない。ただし原型となるべきものは古くから存在した。後漢の武氏祠画像石には二十四孝のなかの曾子,閔子騫(びんしけん),老萊子(ろうらいし),丁蘭,董永(とうえい)たちが描かれており,とりわけ六朝時代に著された数種の《孝子伝》が材料に使われたものと考えられる。

にじゅうしこう【二十四孝】

御伽草子。中国の《全相二十四孝詩選》にもとづき,五言絶句の漢詩を掲げ,その注解を和文で綴ったもの。渋川版御伽草子所収。内容は,大舜,漢文帝,丁蘭,孟宗,閔子騫,曾参,王祥,老萊子,姜詩,唐夫人,楊香,董永,黄香,王裒,郭巨,朱寿昌,剡子,蔡順,廋黔婁,呉猛,張孝・張礼,田真・田広・田慶,山谷,陸績の24話から成る。渋川版御伽草子本をも含め,《二十四孝》の版本は近世全期を通じておびただしい数にのぼる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

にじゅうしこう【二十四孝】

中国で、古く親孝行であったという二四人。虞舜、漢の文帝、曽参・閔損・仲由・董永・剡子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁・老萊子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。異説もあるが、日本の御伽草子や浄瑠璃の素材となった。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

二十四孝
にじゅうしこう

中国古来の代表的孝子24人をいい、また彼らの逸話を収めた同名の幼童の教訓書をいう。その人と配列の順序には諸本で異同があるが、元(げん)の郭居敬(かくきょけい)の作といわれる『二十四孝』によれば、虞舜(ぐしゅん)、漢の文帝、曽参(そうしん)、閔損(びんそん)、仲由(ちゅうゆう)、董永(とうえい)(えんし)、江革、陸績、唐夫人、呉猛、王祥、郭巨、楊香(ようこう)、朱封昌、黔婁(ゆけんろう)、老莱子(ろうらいし)、蔡順(さいじゅん)、黄香、姜詩(きょうし)、王褒(おうほう)、丁蘭(ていらん)、孟宗(もうそう)、黄庭堅らであり、仲由と江革のかわりに張孝と田真を入れたものもある。孝子譚(たん)を集めた書には古く前漢の劉向(りゅうきょう)作『孝子伝』があるが、敦煌(とんこう)発見の唐末五代の円鑑大師雲辯(うんべん)の作といわれる『二十四孝押座文(おうざぶん)』によって、唐末ごろには孝子の代表24人を数える習慣が形成されていたことがわかる。二十四孝説話は、一般に親に対する子の一方的献身を説き、親の喜びのために、70歳になっても赤子のまねをする周の老莱子、親を養うためにわが子を生き埋めにしようとする漢の郭巨、親の食欲のために、厳冬に筍(たけのこ)を探して泣く晋(しん)の孟宗や、氷上に寝て鯉(こい)をとろうとする晋の王祥の話など、残酷なものが少なくない。『二十四孝』は江戸時代には日本でも訳され、近松半二(ちかまつはんじ)らの浄瑠璃(じょうるり)『本朝(ほんちょう)廿四孝』など芸能にも多く取り入れられている。[山崎純一]
『徳田進著『孝子説話集の研究――二十四孝を中心に 中世編・近世編』(1963・井上書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の二十四孝の言及

【本朝二十不孝】より

…改題本に《新因果物語》。中国の《二十四孝》(全相二十四孝詩選)を逆手にとって20の不孝譚を集めたもの。ほかに先行する孝子譚もあるが,直接的には,1683年(天和3)5代将軍徳川綱吉により発令された忠孝令,翌84年の初版から3年連続版を重ねた《本朝孝子伝》にみられるごとき孝行奨励への,作者なりの対応と考えられる。…

※「二十四孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

二十四孝の関連キーワード黄金の釜を掘り出したよう龍虎塔〈蓮池潭風景区内〉柳家 つばめ(2代目)立川 談志(4代目)柳家小さん(4世)春風亭柳好(3世)涼しむ・清しむ負い目・負目大倭二十四孝本朝二十不孝モウソウチク竹田 三之助河盛 好蔵武道伝来記孝堂山石祠雪中の筍立川談志南禅寺浄瑠璃月尋堂

二十四孝の関連情報