二十四孝(読み)ニジュウシコウ

デジタル大辞泉 「二十四孝」の意味・読み・例文・類語

にじゅうし‐こう〔ニジフシカウ〕【二十四孝】

中国で古来有名な孝子24人の称。虞舜ぐしゅん・漢の文帝曽参そうしん閔子騫びんしけん・仲由・董永とうえい剡子えんし・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁ゆけんろう老莱子ろうらいし・蔡順・黄香・姜詩きょうし王褒おうほう・丁蘭・孟宗黄庭堅のこと。
廿四孝)「本朝廿四孝」の略称

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精選版 日本国語大辞典 「二十四孝」の意味・読み・例文・類語

にじゅうし‐こうニジフカウ【二十四孝】

  1. [ 一 ] 中国で古来有名な孝子二四人の総称。元の郭居敬がその伝を記した教訓書を著わしたのによる。すなわち虞舜漢文帝・曾参・閔損・仲由・董永・剡子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁・老莱子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。なお、仲由・江革がなく、その代わりに張孝・田真を入れたものもある。
    1. [初出の実例]「能阿彌、依二十四孝之絵来而有評義也」(出典:蔭凉軒日録‐長祿二年(1458)七月一七日)
  2. [ 二 ] 浄瑠璃本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の略称。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二十四孝」の意味・わかりやすい解説

二十四孝
にじゅうしこう

中国古来の代表的孝子24人をいい、また彼らの逸話を収めた同名の幼童の教訓書をいう。その人と配列の順序には諸本で異同があるが、元(げん)の郭居敬(かくきょけい)の作といわれる『二十四孝』によれば、虞舜(ぐしゅん)、漢の文帝、曽参(そうしん)、閔損(びんそん)、仲由(ちゅうゆう)、董永(とうえい)、剡子(えんし)、江革、陸績、唐夫人、呉猛、王祥、郭巨、楊香(ようこう)、朱封昌、廋黔婁(ゆけんろう)、老莱子(ろうらいし)、蔡順(さいじゅん)、黄香、姜詩(きょうし)、王褒(おうほう)、丁蘭(ていらん)、孟宗(もうそう)、黄庭堅らであり、仲由と江革のかわりに張孝と田真を入れたものもある。孝子譚(たん)を集めた書には古く前漢の劉向(りゅうきょう)作『孝子伝』があるが、敦煌(とんこう)発見の唐末五代の円鑑大師雲辯(うんべん)の作といわれる『二十四孝押座文(おうざぶん)』によって、唐末ごろには孝子の代表24人を数える習慣が形成されていたことがわかる。二十四孝説話は、一般に親に対する子の一方的献身を説き、親の喜びのために、70歳になっても赤子のまねをする周の老莱子、親を養うためにわが子を生き埋めにしようとする漢の郭巨、親の食欲のために、厳冬に筍(たけのこ)を探して泣く晋(しん)の孟宗や、氷上に寝て鯉(こい)をとろうとする晋の王祥の話など、残酷なものが少なくない。『二十四孝』は江戸時代には日本でも訳され、近松半二(ちかまつはんじ)らの浄瑠璃(じょうるり)『本朝(ほんちょう)廿四孝』など芸能にも多く取り入れられている。

[山崎純一]

『徳田進著『孝子説話集の研究――二十四孝を中心に 中世編・近世編』(1963・井上書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「二十四孝」の意味・わかりやすい解説

二十四孝 (にじゅうしこう)

御伽草子。中国の《全相二十四孝詩選》にもとづき,五言絶句の漢詩を掲げ,その注解を和文で綴ったもの。渋川版御伽草子所収。内容は,大舜,漢文帝,丁蘭,孟宗,閔子騫,曾参,王祥,老萊子,姜詩,唐夫人,楊香,董永,黄香,王裒,郭巨,朱寿昌,剡子,蔡順,廋黔婁,呉猛,張孝・張礼,田真・田広・田慶,山谷,陸績の24話から成る。渋川版御伽草子本をも含め,《二十四孝》の版本は近世全期を通じておびただしい数にのぼる。B.H.チェンバレンは《日本事物誌Things Japanese》(1890)の〈親孝行〉の項に,〈日本の人びとにとって,《二十四孝》の話ほど大好きなものはない。……日本人は自分たちの《本朝二十四孝》を作ったが,これはあまり人気がない〉と述べている。日本人の作った〈二十四孝〉として,文学史上著名なものは浅井了意作の仮名草子《大倭(やまと)二十四孝》(1665),藤井懶斎の《本朝孝子伝》(1684)などである。特に後者は漢文で書かれたにもかかわらず,大変な好評で,貞享3年(1686),4年と版を重ね,貞享4年には和文に改めた《仮名本朝孝子伝》も刊行され,さらに多くの読者を持った。井原西鶴の《本朝二十不孝》は,《本朝孝子伝》の好評に便乗し,同書〈今世〉の部の孝子20人を,中国の《二十四孝》の趣向を活用しながら,ことごとく親不孝者に逆転して見せた才気縦横の浮世草子である。
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二十四孝 (にじゅうしこう)
èr shí sì xiào

中国,五帝の一人の舜から宋の黄庭堅までの24人の孝子たち。その物語は元代以後,あるいは巻首に《孝経》をそえて,あるいは挿絵をともなう幼童の読物として出版が繰り返された。元の郭守正が集めたともいわれるが,原作者についてはよくわからない。ただし原型となるべきものは古くから存在した。後漢の武氏祠画像石には二十四孝のなかの曾子,閔子騫(びんしけん),老萊子(ろうらいし),丁蘭,董永(とうえい)たちが描かれており,とりわけ六朝時代に著された数種の《孝子伝》が材料に使われたものと考えられる。日本でもお伽草子の《二十四孝》や仮名草子の《大倭(やまと)二十四孝》が生まれた。魯迅は《二十四孝図》の一文で,人情にはずれた封建倫理に強く反発しているが,母のために雪中に笋(たけのこ)をもとめる孟宗の故事を〈一子寒し親孝行の袖の月,どこにあらうぞ雪の笋〉と皮肉った井原西鶴は,二十四孝物語を逆用して《本朝二十不孝》を著した。

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百科事典マイペディア 「二十四孝」の意味・わかりやすい解説

二十四孝【にじゅうしこう】

中国古来の代表的な孝子24人の伝記と詩とを記した教訓書。元の郭居敬の原作といわれる。虞舜(ぐしゅん)を筆頭に呉孟,王祥,郭巨,老莱子,孟宗(もうそう),黄庭堅らの24人。日本にも伝わり,御伽草子をはじめ江戸時代に種々の刊本や和訳本がでた。《本朝廿四孝》や井原西鶴の《本朝二十不孝》などにも影響。

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世界大百科事典(旧版)内の二十四孝の言及

【本朝二十不孝】より

…改題本に《新因果物語》。中国の《二十四孝》(全相二十四孝詩選)を逆手にとって20の不孝譚を集めたもの。ほかに先行する孝子譚もあるが,直接的には,1683年(天和3)5代将軍徳川綱吉により発令された忠孝令,翌84年の初版から3年連続版を重ねた《本朝孝子伝》にみられるごとき孝行奨励への,作者なりの対応と考えられる。…

※「二十四孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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