川俣(読み)かわまた

日本歴史地名大系 「川俣」の解説

川俣
かわまた

江戸時代町小綱木まちこつなぎ村と町飯坂まちいいざか村に成立した町場、およびその周辺一帯をさす地名。中世から登場し、以後河俣・河股・川股・川又などと記され、その範囲も場合により広狭さまざまであった。文保二年(一三一八)から元亨三年(一三二三)にかけて紀州根来ねごろ(現和歌山県岩出町)の儀海が「小手保河俣」において「釈論開解鈔」などを書写している(名古屋真福寺史料)。延元二年(一三三七)八月二六日の相馬胤平軍忠状(相馬文書)に「小手保河俣城」とみえ、同城は飯坂のじようくら城跡にあてられる。天文一四年(一五四五)五月二日の伊達晴宗充行状(関文書)には「河俣之内大つなき」とあり、また天正一二年(一五八四)頃、桜田資親が現東福沢ひがしふくざわに築いた城を河股城とよぶなど、中世の川俣は飯坂・大綱木おおつなぎ・東福沢を含んだ。

江戸時代、当地は相馬藩二本松藩・福島藩に囲まれ、それぞれに街道が通じる交通の要衝であった。元禄―宝永(一六八八―一七一一)頃の小手郷村々書上帳(高橋家文書)には「川又と申儀ハ飯坂、鶴田、小綱木、五十沢、此四ケ村相名に御座候」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川俣」の意味・わかりやすい解説

川俣(町)
かわまた

福島県中通り北部、伊達郡(だてぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)富田(とみた)、福田、小島(おじま)、飯坂(いいざか)、小綱木(こつなぎ)、大綱木、山木屋(やまきや)の7村と合併。町域は阿武隈(あぶくま)高地西縁の丘陵地にあり、古来小手保(おでほ)(小手郷(おでごう))とよばれたが、川俣の市街は広瀬川上流の小盆地内にあり、地形的にもこの地方の中心である。国道114号と349号が交差し、JR東北本線福島駅、松川駅(福島市)からバス路線がある。古くから絹織物業が盛んで、養蚕が主要産業であった。明治以降はアメリカ向け軽目羽二重(かるめはぶたえ)の産地となった。第二次世界大戦後は化合繊維織物が多くなり、縫製、電気機器などの工場も立地した。絹市(きぬいち)の行事が行われている。農業は米、葉タバコ、畜産と多彩。面積127.70平方キロメートル、人口1万2170(2020)。

[渡辺四郎]

〔東日本大震災〕2011年(平成23)の東日本大震災では死者29人、住家全壊28棟・半壊30棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。あわせて東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染によって町域東南の山間部避難指示区域(のちに避難指示解除準備区域居住制限区域帰還困難区域に再編)となったが、2017年に避難指示は解除された。なお、2016年には役場新庁舎が開庁している。

[編集部 2019年10月18日]

『『川俣町史』全3巻(1976~1982・川俣町)』



川俣
かわまた

埼玉県羽生市(はにゅうし)の北部にある一地区。旧川俣村。旧利根(とね)川である会(あい)ノ川と、利根川分岐点にあたるのでこの名がついた。利根川沿いにあり、江戸時代は日光裏街道の川俣関所があった。川俣関所跡は県指定の旧跡となっている。埼玉用水、葛西(かさい)用水が通る。

[中山正民]

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改訂新版 世界大百科事典 「川俣」の意味・わかりやすい解説

川俣[町] (かわまた)

福島県北東部,伊達郡の町。人口1万5569(2010)。福島市の南東,阿武隈高地西斜面に位置する。周囲を山に囲まれ,耕地は山間の傾斜地に多く,標高500mをこえるものも少なくない。中心の川俣は江戸時代に幕府の代官所が置かれた地で,古くから養蚕,絹織物の産地として栄え,生糸や羽二重をあつかう2・7の六斎市が立っていた。明治以降も川俣紡織場,川俣製糸会社が設立され,生糸を扱う商社もでき,海外にも輸出されたが,第2次大戦後,化学繊維の登場により生産は激減した。農業は近年,米作,養蚕から畜産や葉タバコなどの工芸作物の生産に比重を移しており,特に農畜産物の加工業が成功している。国鉄川俣線が通じていたが,1972年廃止された。
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川俣[温泉] (かわまた)

栃木県北西部,鬼怒川上流の山合いにある温泉。日光市の旧栗山村に属し,1953年に道路が整備されて自動車交通が可能となってから,奥鬼怒探勝の拠点として開発が進んだ。弱食塩泉,70~80℃。近くには65年に川俣ダムダム湖としてつくられた川俣湖,湯沢噴泉塔(天),瀬戸合峡などの観光資源があり,鬼怒川のさらに上流には,バスの便のない奥鬼怒温泉郷(女夫淵(めおとぶち),八丁ノ湯,加仁湯,手白沢,日光沢など)がある。
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百科事典マイペディア 「川俣」の意味・わかりやすい解説

川俣[温泉]【かわまた】

栃木県日光市,鬼怒川上流の温泉。単純泉,食塩泉。70〜80℃。江戸時代には日光の商人らが湯守請負人となって温泉が経営された。標高1000mのブナやミズナラの樹林帯にあり,付近に湯沢噴泉塔(天然記念物),下流には川俣ダムの川俣湖がある。日光国立公園奥鬼怒地区の探勝基地で,東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅からバス。
→関連項目鬼怒川

川俣[町]【かわまた】

福島県北東部,阿武隈(あぶくま)高地中の伊達(だて)郡の町。広瀬川上流にある主集落は相馬(そうま),三春(みはる)などへの交通路に当たり,江戸時代は市場町として発達。養蚕と機業が盛んで,絹,人絹の広幅物の産が多い。東北本線松川駅からバスが通じる。米,タラの芽,葉タバコも産する。東日本大震災で,町内において被害が発生。127.70km2。1万5569人(2010)。

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デジタル大辞泉プラス 「川俣」の解説

川俣

福島県伊達郡川俣町にある道の駅。国道114号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の川俣の言及

【川俣[町]】より

…周囲を山に囲まれ,耕地は山間の傾斜地に多く,標高500mをこえるものも少なくない。中心の川俣は江戸時代に幕府の代官所が置かれた地で,古くから養蚕,絹織物の産地として栄え,生糸や羽二重をあつかう2・7の六斎市が立っていた。明治以降も川俣紡織場,川俣製糸会社が設立され,生糸を扱う商社もでき,海外にも輸出されたが,第2次大戦後,化学繊維の登場により生産は激減した。…

※「川俣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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