市川猿之助(読み)イチカワエンノスケ

デジタル大辞泉 「市川猿之助」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐えんのすけ〔いちかはヱンのすけ〕【市川猿之助】

歌舞伎俳優。屋号、沢瀉屋おもだかや
(2世)[1888~1963]東京の生まれ。晩年に猿翁を名乗る。劇団春秋座を結成、劇界の改新を図った。また多くの新舞踊新歌舞伎を上演。
(3世)[1939~2023]東京の生まれ。の孫で、3世市川段四郎の長男。外連けれんを駆使し、「スーパー歌舞伎」を作り上げた。2世猿翁。

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精選版 日本国語大辞典 「市川猿之助」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐えんのすけ【市川猿之助】

  1. 歌舞伎俳優。屋号沢瀉(おもだか)屋。
  2. [ 一 ] 初世。殺陣師(たてし)の名人坂東三太郎の子。江戸の人。立役、敵役が当たり芸。安政二~大正一一年(一八五五‐一九二二
  3. [ 二 ] 二世。初世の長男。晩名猿翁。大正八年(一九一九)欧米の演劇を視察。春秋座を結成して劇界の革新を図った。芸術院会員。明治二一~昭和三八年(一八八八‐一九六三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「市川猿之助」の意味・わかりやすい解説

市川猿之助
いちかわえんのすけ

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号沢瀉屋(おもだかや)。

初世

(1855―1922)4世坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)の門弟で、殺陣師(たてし)の名人といわれた坂東三太郎の子。初め5世尾上菊五郎(おのえきくごろう)に入門したが、のち9世市川団十郎の弟子になり山崎猿之助と名のる。1874年(明治7)中島座で、歌舞伎十八番の『勧進帳』を師に無断で上演して破門され、松尾猿之助の名でもっぱら小芝居や各地方の芝居に出演していた。1890年帰参を許されて市川猿之助と改め、師とともに歌舞伎座に出られるようになった。しかし、1897年以後は小芝居の座頭(ざがしら)格の立者(たてもの)となって活躍。1910年(明治43)2世市川段四郎と改名した。

2世

(1888―1963)初世の長男。本名喜熨斗政泰(きのしまさやす)。東京生まれ。1910年市川団子(だんこ)から2世猿之助を襲名した。2世市川左団次(さだんじ)の自由劇場に出演、欧米演劇の視察旅行、劇団春秋座の結成、1955年(昭和30)に訪中歌舞伎公演を実現するなど、生涯を通じて進歩的な気風を失わなかった。1952年に芸術院賞を受け、1955年に芸術院会員となった。1963年、孫の団子に3世を継がせ、初世市川猿翁(えんおう)と名のった。『黒塚』『悪太郎(あくたろう)』など、得意の舞踊を選び、「猿翁十種」を定めた。

3世

(1939―2023)2世の長男である3世市川段四郎(1908―1963)の長男。本名喜熨斗政彦(まさひこ)。慶応義塾大学卒業。2世市川団子から1963年3世を襲名した。宙乗りや早替りなど、けれんを駆使する歌舞伎の復活や、古典歌舞伎の様式・演出・表現技法を使って、新しい作品をつくる「スーパー歌舞伎」(ヤマトタケル、リュウオー、オグリ)の創造に意欲と情熱を傾注した。また、オペラ『コックドール』の演出を手がけるなど、幅広く活躍した。弟の弘之(ひろゆき)が4世市川段四郎(1946―2023)を継いだ。2000年(平成12)紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。2010年文化功労者。2012年6月、甥(おい)の2世市川亀治郎(かめじろう)に4世を継がせ、2世猿翁を襲名した。同時に長男で俳優の香川照之(かがわてるゆき)が9世市川中車(ちゅうしゃ)を、孫の香川政明(まさあき)(2004― )が5世市川団子を襲名している。

服部幸雄・編集部]

4世

(1975― )4世市川段四郎の長男。本名喜熨斗孝彦(たかひこ)。慶応義塾大学卒業。2世亀治郎から2012年4世を襲名した。

[編集部]

『3世市川猿之助著『演者の目』(1976・朝日新聞社)』『3世市川猿之助著『猿之助の歌舞伎講座』(1984・新潮社)』『村松友視・稲垣功一著『市川猿之助歌舞伎の時空』(1986・PARCO出版)』『藤田洋著『猿之助歌舞伎ヨーロッパへ宙乗り』(1988・朝日新聞社)』『3世市川猿之助著『猿之助修羅舞台』(PHP文庫)』

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「市川猿之助」の解説

市川 猿之助(2代目)
イチカワ エンノスケ


職業
歌舞伎俳優

肩書
日本芸術院会員〔昭和30年〕

本名
喜熨斗 政泰

別名
初名=市川 団子,後名=市川 猿翁(イチカワ エンオウ)

屋号
沢瀉屋

生年月日
明治21年 5月10日

出生地
東京市 浅草区千束町(東京都 台東区)

学歴
京華中〔明治42年〕

経歴
初代市川猿之助の長男に生まれ、明治25年2代目市川団子の名で初舞台。43年2代目猿之助を襲名。42年2代目市川左団次らの自由劇場に参加、歌舞伎界の革新派として活躍。大正8年欧米視察のち、9年春秋座を設立、イプセン「野鴨」、菊池寛父帰る」、新舞踊「虫」の上演など、新機軸を打ち出した。この間、昭和5年松竹を脱退するが、のち復帰。主に市川左団次一座に参加し、真山青果作品に出演した。また14年には映画「日輪」に主演し物議をかもした。戦後は猿之助一座を結成、歌舞伎の古典と新作上演に意欲的に取りくんだ。30年戦後初の歌舞伎の海外公演として中国を訪問、36年にはソ連公演も行った。38年孫の団子に猿之助の名を譲り、猿翁を名乗る。芸風は男性的で豪快、当たり役は「勧進帳」の弁慶、「千本桜」の狐忠信など、新作として「元禄忠臣蔵」「修善寺物語」「研辰の討たれ」、舞踊では「猿翁十種」がある。

受賞
日本芸術院賞(昭和26年度)

没年月日
昭和38年 6月12日 (1963年)

家族
父=市川 猿之助(初代)(=2代目市川段四郎),長男=市川 段四郎(3代目),孫=市川 猿之助(3代目),市川 段四郎(4代目)

伝記
おんなの色気 おとこの色気黄昏のダンディズム 村松 友視 著村松 友視 著(発行元 ランダムハウス講談社佼成出版社 ’08’02発行)

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20世紀日本人名事典 「市川猿之助」の解説

市川 猿之助(2代目)
イチカワ エンノスケ

大正・昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治21(1888)年5月10日

没年
昭和38(1963)年6月12日

出生地
東京市浅草区千束町(現・東京都台東区)

本名
喜熨斗 政泰

別名
初名=市川 団子,後名=市川 猿翁(イチカワ エンオウ)

屋号
沢瀉屋

学歴〔年〕
京華中学〔明治42年〕

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(昭和26年度)

経歴
初代市川猿之助の長男に生まれ、明治25年2代目市川団子の名で初舞台。43年2代目猿之助を襲名。42年2代目市川左団次らの自由劇場に参加、歌舞伎界の革新派として活躍。大正8年欧米視察のち、9年春秋座を設立、イプセン「野鴨」、菊池寛「父帰る」、新舞踊「虫」の上演など、新機軸を打ち出した。この間、昭和5年松竹を脱退するが、のち復帰。主に市川左団次一座に参加し、真山青果作品に出演した。また14年には映画「日輪」に主演し物議をかもした。戦後は猿之助一座を結成、歌舞伎の古典と新作上演に意欲的に取りくんだ。30年戦後初の歌舞伎の海外公演として中国を訪問、36年にはソ連公演も行った。38年孫の団子に猿之助の名を譲り、猿翁を名乗る。芸風は男性的で豪快、当たり役は「勧進帳」の弁慶、「千本桜」の狐忠信など、新作として「元禄忠臣蔵」「修善寺物語」「研辰の討たれ」、舞踊では「猿翁十種」がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市川猿之助」の意味・わかりやすい解説

市川猿之助(3世)
いちかわえんのすけ[さんせい]

[生]1939.12.9. 東京
[没]2023.9.13. 東京
歌舞伎俳優。屋号澤瀉屋(おもだかや)。本名,喜熨斗政彦(きのしまさひこ)。「スーパー歌舞伎」と呼ばれる娯楽性豊かな作品で人気を博し,さまざまな層のファンを獲得した。
歌舞伎俳優の 3世市川段四郎と映画女優の高杉早苗の長男として生まれる。2世市川猿之助(1世市川猿翁)の孫。1947年1月東京劇場『二人三番叟』(→三番叟)の附千歳(つけせんざい)で 3世市川團子を名のり初舞台。1962年慶應義塾大学国文科を卒業。1963年5月歌舞伎座『鎌倉三代記』で三浦之助,『吉野山』で忠信,『黒塚』で鬼女などを演じ,3世市川猿之助を襲名。1968年4月国立劇場『義経千本桜』の「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)」において宙乗りに挑み,けれんの芸を復活させた。その後も古典作品の新演出や創作に積極的に取り組み,1986年には「スーパー歌舞伎」と銘打ち,宙乗りや早替り,立ち回りを駆使した『ヤマトタケル』を発表,絶大な人気を得た。海外公演やワークショップなど歌舞伎の普及活動を意欲的にこなし,オペラやミュージカルなどの演出も手がけた。2000年には宙乗り 5000回を達成し,ギネスに認定。2012年,2代目市川猿翁を襲名。1987年松尾芸能賞大賞,1989年芸術選奨文部大臣賞を受賞。2000年紫綬褒章受章。2010年文化功労者選定。2023年旭日中綬章,従四位。

市川猿之助(2世)
いちかわえんのすけ[にせい]

[生]1888.5.10.
[没]1963.6.12. 東京
歌舞伎俳優。屋号澤瀉 (おもだか) 屋。1世市川猿之助の長男。本名喜熨斗 (きのし) 政泰。 1919年外遊して春秋座を興し,菊池寛作『父帰る』や創作舞踊『虫』などを上演,常に歌舞伎界の第一線で活躍した。晩年は猿翁と改名し第2次世界大戦後劇壇の重鎮となった。

市川猿之助(1世)
いちかわえんのすけ[いっせい]

[生]安政2(1855)
[没]1922. 東京
歌舞伎俳優。屋号澤瀉 (おもだか) 屋。殺陣師 (たてし) 坂東三太郎の子。9世市川団十郎の門下でその脇役をつとめたが,おもに二流劇場で座頭格として活躍。のち2世市川段四郎と改名。

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改訂新版 世界大百科事典 「市川猿之助」の意味・わかりやすい解説

市川猿之助 (いちかわえんのすけ)

歌舞伎俳優。屋号沢瀉(おもだか)屋。(1)初世 2世市川段四郎の前名。(2)2世(1888-1963・明治21-昭和38) 2世段四郎の長男。1892年市川団子の名で東京歌舞伎座で初舞台。1910年猿之助を襲名。当時の歌舞伎界では珍しく中学に学び,進取の気風をもって鳴らした。13年には吾声会,20年には前進座の母胎となった春秋座を結成,1915年にはヨーロッパに外遊,数多くの新舞踊,新作歌舞伎を上演。小柄な体に闘志と熱意をみなぎらせた独自の芸風をつくった。63年初世市川猿翁と改名。その披露の口上の3日間が最後の舞台となった。戦後歌舞伎の名優の一人。(3)3世(1939(昭和14)- ) 本名喜熨斗(きのし)政彦。2世猿之助の孫,3世段四郎の長男。63年猿之助を襲名。祖父譲りの闘志で,歌舞伎の本格から異端視されていたケレンの芸を復活。早替り,宙乗りなどで人気を得た。2012年6月2世市川猿翁と改名。(4)4世(1975(昭和50)- ) 本名喜熨斗孝彦。4世市川段四郎の長男。1983年2世市川亀治郎を襲名。2012年6月猿之助を襲名。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川猿之助」の解説

市川猿之助(3代) いちかわ-えんのすけ

1939- 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和14年12月9日生まれ。3代市川段四郎の長男。祖父の2代市川猿之助らに師事し,昭和22年初舞台。38年3代市川猿之助を襲名。41年より「春秋会」を主宰し,古典歌舞伎の復活につとめる。61年新作のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を初演。平成11年7作目の「新・三国志」を発表。オペラの演出も手がける。13年藤間紫と結婚。15年脳梗塞で倒れる。22年文化功労者に選ばれる。24年2代市川猿翁を襲名。25年若手の育成に貢献したとしてモンブラン国際文化賞。東京出身。慶大卒。本名は喜熨斗(きのし)政彦。初名は市川団子(3代)。屋号は沢瀉(おもだか)屋。

市川猿之助(4代) いちかわ-えんのすけ

1975- 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和50年11月26日生まれ。4代市川段四郎の長男。昭和58年2代市川亀治郎を名乗り「御目見得太閤記」で初舞台。のち伯父の3代市川猿之助のスーパー歌舞伎で立役をつとめる。平成19年「決闘!高田馬場」と古典歌舞伎での演技で朝日舞台芸術賞寺山修司賞。同年NHK大河ドラマ「風林火山」に武田信玄役で出演。21年「祇園祭礼信仰記~金閣寺」,「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」で芸術選奨文部科学大臣新人賞。24年4代市川猿之助を襲名。東京都出身。慶大卒。本名は喜熨斗孝彦(きのし-たかひこ)。屋号は沢瀉(おもだか)屋。

市川猿之助(2代) いちかわ-えんのすけ

1888-1963 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治21年5月10日生まれ。2代市川段四郎の長男。明治25年初舞台,43年2代猿之助を襲名する。大正9年春秋座をおこし新作物を手がける。新舞踊も創作。日本俳優協会初代理事長。芸術院会員。昭和38年6月12日死去。75歳。東京出身。京華中学卒。本名は喜熨斗(きのし)政泰。前名は市川団子(初代)。晩年の名は市川猿翁(えんおう)。屋号は沢瀉(おもだか)屋。

市川猿之助(初代) いちかわ-えんのすけ

市川段四郎(いちかわ-だんしろう)(2代)

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百科事典マイペディア 「市川猿之助」の意味・わかりやすい解説

市川猿之助【いちかわえんのすけ】

歌舞伎俳優。初世は2世市川段四郎の前名で,現在4世。屋号沢瀉(おもだか)屋。2世〔1888-1963〕は初世の長男。若いころ新劇運動に努力,1913年春秋座を創設。のち歌舞伎に戻り新作歌舞伎や新舞踊で活躍。死の直前に初世猿翁を名乗る。その孫が現3世〔1939-〕。歌舞伎の本格からは邪道とされていた早替り・宙乗りなどのケレンを復活させて人気がある。4世〔1975-〕は3世の甥。
→関連項目朝倉摂沢瀉屋

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367日誕生日大事典 「市川猿之助」の解説

市川 猿之助(2代目) (いちかわ えんのすけ)

生年月日:1888年5月10日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1963年没

市川 猿之助(3代目) (いちかわ えんのすけ)

生年月日:1939年12月9日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優

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世界大百科事典(旧版)内の市川猿之助の言及

【日本舞踊】より

…しかし理想が高すぎ,規模があまりに壮大だったため実現せずに終わった。しかし大正に入ると,逍遥のまいた種は新舞踊運動となって展開,藤蔭静枝(藤蔭静樹)の〈藤蔭会(とういんかい)〉,五条珠実(1899‐1987)の〈珠実会〉,花柳寿美の〈曙会〉など女流舞踊家による新舞踊の会が発足,また2世市川猿之助,5世中村福助の〈羽衣会〉,2世花柳寿輔の〈花柳舞踊研究会〉なども新しい動きをみせた。
[種類と流派]
 歌舞伎舞踊は大きく〈儀式舞踊〉〈劇舞踊〉〈風俗舞踊〉の3種に類別できるが,また題材別に見ると,〈祝儀物〉〈三番叟物〉〈道成寺物〉〈石橋物(獅子物)〉〈浅間物(あさまもの)〉〈狂乱物〉〈変化物〉〈松羽目物〉等になる。…

【虫】より

…新舞踊劇。2世市川猿之助(のちの猿翁)構成,振付。今儀謹次郎作曲。…

※「市川猿之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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