デジタル大辞泉
「万歳」の意味・読み・例文・類語
ばん‐ざい【万歳】
[名](スル)《古くは「ばんぜい」。「ばんざい」は近代以降の読み方》
1 祝いや喜びの気持ちを込めてを唱えること。多く、威勢よく両手を上げる動作を伴う。また、その動作のこともいう。「万歳を三唱する」「万歳の姿勢」
2 めでたいこと。うれしいこと。「これが成功すれば万歳だ」
3 《1の動作から》
㋐降参すること。お手上げ。「もう食べられない。万歳するよ」
㋑野球で、野手がフライを捕球しようとして両手を上げながら、打球に頭上を抜かれること。→ばんぜい(万歳)
㋒セーターなどのプルオーバーを着るときに両手を上げることをいう幼児語。「スモックを着るから万歳しましょうね」
[感]めでたいときやうれしいときに、その気持ちを込めて発する語。「万歳、合格だ」
[類語]万万歳・快哉
ばん‐ぜい【万歳】
1 長い年月。万年。「千秋万歳」
2 いつまでも生きること。また、永く栄えること。
「君天下を保たせ給はん事、―是より始まる可し」〈太平記・二八〉
3 めでたいこと、寿命などを祝福して唱える語。ばんざい。
「―の喜びをぞ唱へける」〈曽我・五〉
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まん‐ざい【万歳】
- 〘 名詞 〙
- ① 万年。よろずよ。ばんぜい。ばんざい。万載。
- [初出の実例]「亀は万歳のものぢゃほどに」(出典:史記抄(1477)一八)
- ② 千秋万歳をことほぐ意で、新年を祝う歌舞。また、その歌舞をする者。鎌倉初期以来宮中に参入するものを千秋万歳(せんずまんざい)と呼び、織豊・徳川の頃には単に万歳(まんざい)と呼んだ。江戸時代、関東へ来るものは三河国から出るので三河万歳、京都へは大和国から出るので大和万歳といい、服装は、初めは折烏帽子(おりえぼし)・素袍(すおう)であったが、後には風折(かざおり)烏帽子に大紋(だいもん)の直垂(ひたたれ)をつけ、腰鼓(こしつづみ)を打ちながら賀詞を歌って舞い歩いた。《 季語・新年 》
万歳②〈絵本満都鑑〉
- [初出の実例]「にほんのはじめいはふかずかずといふに 万歳のはたまたにはに春たちて〈蝠才〉」(出典:俳諧・新続犬筑波集(1660)一)
- ③ ②のうたう歌。また、その曲調を浄瑠璃中にとり入れたもの。
- [初出の実例]「こち風音添て去年の氷を 万才 とくわかに御万歳と君もさかへまします」(出典:浄瑠璃・義経千本桜(1747)四)
- ④ ②の着る素袍。
- [初出の実例]「宮めぐりの案内禰宜子細に白きまんざいきて」(出典:浮世草子・好色旅日記(1687)四)
- ⑤ めでたいことを祝って叫ぶ声。ばんぜい。ばんざい。まんぜい。
- [初出の実例]「路傍の観者千秋を呼び万歳(マンザイ)を唱ふ」(出典:花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉附録一二)
- ⑥ 大夫と才蔵の二人の芸人が滑稽な掛合をする、近世からの演芸。現代の漫才に発展した。掛合い万歳。→漫才。
- [初出の実例]「万歳(マンゼヘ)の、才蔵(せへぞう)のと、ぎっぱな男が云ふてじゃが」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二)
ばん‐ぜい【万歳】
- 〘 名詞 〙
- [ 一 ]
- ① 非常に長い年月。万年。ばんざい。
- [初出の実例]「流二橘氏之殊名一。万歳無レ窮」(出典:続日本紀‐天平八年(736)一一月丙戌)
- [その他の文献]〔荘子‐斉物論〕
- ② ( ━する ) いつまでも生きること、栄えること。また、それをことほぎ願うこと。
- [初出の実例]「御寺の僧ども、御万歳を祈り奉る」(出典:栄花物語(1028‐92頃)鳥辺野)
- [その他の文献]〔南斉書‐楽志・斉世昌辞〕
- ③ ( ━する ) 人が死ぬことをいう。
- [初出の実例]「件遠忌雖二入道万歳以後一、依二一女一可レ修二祖父報恩一」(出典:兵範記‐仁平三年(1153)五月二八日)
- [その他の文献]〔史記‐高祖本紀〕
- [ 二 ] ( 感動詞のようにも用いる )
- ① 天子・国家の長久を祝して唱える語。一般に、寿命や運命を祝して唱える。ばんざい。
- [初出の実例]「人人喜躍、皆称万歳」(出典:家伝(760頃)上)
- [その他の文献]〔漢書‐武帝紀〕
- ② めでたいことを祝って叫ぶ声。ばんざい。
- [初出の実例]「雨降滂沱。群臣莫レ不三舞踏称二万歳一」(出典:続日本紀‐延暦七年(788)四月癸巳)
- [その他の文献]〔史記‐高祖本紀〕
万歳の語誌
→「ばんざい(万歳)」の語誌
ばん‐ざい【万歳】
- 〘 名詞 〙 ( 「万歳(ばんぜい)」の慣用的な読み方 )
- ① =ばんぜい(万歳)[ 一 ]
- [初出の実例]「万歳 バンザイ」(出典:文明本節用集(室町中))
- ② =ばんぜい(万歳)[ 二 ]〔和英語林集成(再版)(1872)〕
- [初出の実例]「俊次も万歳(バンザイ)を唱へぬか。万歳(バンザイ)!」(出典:此ぬし(1890)〈尾崎紅葉〉一〇)
- ③ ( 万歳三唱をする際に両手を上に挙げるところから ) 両手を上に挙げること。
- [初出の実例]「いきなり手と足を万歳させた」(出典:不在地主(1929)〈小林多喜二〉一)
- ④ ( 両手を挙げる形から ) 事業に失敗すること。破産すること。また、一般に、進退に窮すること。おてあげ。
- [初出の実例]「バンザイをする前に、架空の債務をでっちあげておいた」(出典:野獣死すべし 復讐篇(1960)〈大藪春彦〉目には目を)
- ⑤ 野球で、飛球を後逸するエラーをいう俗称。
万歳の語誌
「万歳」は呉音でマンザイ、漢音でバンゼイと読んで長い歳月を意味し、天皇の治世の長さを祝う場合などに「千秋万歳」といわれた。①の挙例の「文明本節用集」には「バンザイ」の読みが付されているが、今日普通にいわれるバンザイの形が一般化したのは近代にはいってからと考えられる。
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万歳(まんざい)
まんざい
正月の門付(かどづけ)祝福芸。千秋(せんず)万歳ともいう。三河万歳のほか、尾張(おわり)、秋田、会津、越前(えちぜん)、加賀、伊予、豊後(ぶんご)(以上1980年代現存)、大和(やまと)、江戸、仙台、伊六(いろく)、沖縄のチョンダラー(以上非現存)などがある。各万歳とも演目、扮装(ふんそう)、楽器、演技などに特徴的差がある。基本的には太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の2人1組(才蔵は門付先による演目選択によって複数の場合もある)で、一般的に太夫は烏帽子(えぼし)に素袍(すおう)で扇を持ち、才蔵は門付には大黒頭巾(ずきん)に裁着袴(たっつけばかま)、座敷の場合は格式を尊び侍烏帽子などに素袍で鼓を持つ。2人の掛合(かけあい)で口調身ぶりも軽快に万歳独特の寿詞(ことほぎ)を唱え、のちに余興にくだけた万歳を演じる。第二次世界大戦以前まではよくみられたが、1970年(昭和45)ごろにはほとんどみられなくなった。かつては農山村民の正月の職能であったが、いまは民俗芸能として余命を保っている。
万歳は一説には奈良時代の宮中正月節会(せちえ)の「万年阿良礼(まんねんあられ)」と囃(はや)した踏歌(とうか)を起源とするという。『万葉集』巻16の「乞食者詠歌(ほかいびとのうた)」は固有の寿詞(ことほぎ)の存在を示しているが、平安中末期には「ことぶきの乱りかわしき」(『源氏物語』「初音(はつね)」)とあるようにくだけた内容であり、平安猿楽(さるがく)でも「千秋万歳之酒祷(せんずまんざいのさかほかい)」(『新猿楽記』)と滑稽物真似(こっけいものまね)が演じられている。鎌倉時代には散所(さんじょ)の僧形神人(そうぎょうじにん)の職能であったが、宮中に参仕するまでになっていた(『明月記』)。これはなかば恒例化して江戸幕末まで続き、「言立(ことだつ)」「枡舞(ますまい)」など六演目の禁中千秋万歳が知られる。大和万歳の「柱立(はしらだて)」は「言立」の、チョンダラーの「御知行(うちじょう)」は「枡舞」の名残(なごり)である。
三河万歳(愛知県西尾市、安城市)は、来歴不詳ながら古い歴史をもち江戸時代には徳川家の優遇を受けたが、明治以降神道(しんとう)職的になり儀礼的である。昔から尾張万歳(愛知県知多市ほか)が優勢であった。鎌倉末に名古屋の長母寺(ちょうぼじ)の開祖無住(むじゅう)国師が寺奴(てらやっこ)安倍(あべ)徳若にさせたのが始まりといい、万歳が陰陽師(おんみょうじ)系(安倍姓を蒙(こうむ)る)であることを物語る。「法華経(ほけきょう)」「六条」「神力(じんりき)」「御城(おしろ)」「地割(ちわり)」の五万歳を表芸とし、門付先の宗教などによってその一つを選び、「御殿(ごてん)万歳」で祝言し、のちに滑稽な「福倉持倉(ふくらもくら)(なかなか万歳)」「入込(いりこみ)(尽し万歳)」を演じる。明治なかばには、鼓のほかに三味線、胡弓(こきゅう)入りで演芸的な「奥田節(アイナラエ)」や「三曲(さんきょく)万歳」(にわか狂言)ができ、舞台興行化した。これをさらに演芸化したのが愛知県津島市の伊六万歳で、上方(かみがた)漫才の源流となった。会津、秋田も尾張系である。越前万歳(福井県越前(えちぜん)市)は、才蔵は独特な万歳太鼓を使い、演目によっては複数出て叺(かます)帽子や蝶々長刀(ちょうちょうなぎなた)帽子など特異な被(かぶ)り物を用いている。来歴に上代の厩祈祷(うまやきとう)の猿舞(さるまい)と鎌倉期の唱門師(しょうもじ)を組み込んであるが、不詳で、以前は故地にちなんで野大坪(のおおつぼ)万歳といった。加賀万歳は越前系で、豊後も似ているところがある。伊予万歳(愛媛県松山市)は江戸初期上方(かみがた)より伝来と伝えるが、芸系不詳の特異なもの。東北の田植踊や関東の万作踊を思わせるものがあって、願人(がんにん)芸の影響が考えられる。太夫は唄(うた)と太鼓を受け持ち、三味線、拍子木の囃子(はやし)も入り、才蔵と次郎松(じろまつ)の2人が滑稽を強調し、はでな投(なげ)頭巾、長襦袢(ながじゅばん)、袴(はかま)の踊り子がにぎやかに踊る。長崎くんちにはシルクハットの太夫役とピエロ風の才蔵役によるおらんだ万歳が出る。なお、瞽女(ごぜ)も「経文」「柱立」の万歳唄(うた)で正月門付をした。
[西角井正大]
『三隅治雄監修、岡田弘構成・解説『万歳をたずねて』(1978・東芝EMI)』▽『鶴見俊輔著『太夫才蔵伝』(1979・平凡社)』
万歳(ばんざい)
ばんざい
天子や国家の長久の繁栄を祝して唱えることば。正しくは「ばんぜい」といい、1万年(長い年月)の意で、いつまでも生き、栄えることをいう。古来、わが国では、天皇の即位式に「万歳」の文字を記した万歳旛(ばん)が用いられ、雅楽の『万歳楽(まんざいらく)』が演奏されたが、これも天皇の長寿を予祝するものであった。転じて君主や貴人の長久の繁栄をことほぎ願うことをいい、さらに転じて、一般にめでたいことを祝う叫び声をさすようになった。「千秋万歳」「万歳千秋」ともいうが、とくに千秋万歳の語は、平安末期ごろから祝福芸能に従事する職業集団の呼称となり、江戸時代には単に「万歳」の呼び名で親しまれ、正月には欠かせない風物の一つとなっていた。
[宇田敏彦]
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万歳 (まんざい)
民俗芸能。祝福芸,門付芸(かどづけげい)の一つ。正月に家々の座敷や門口で予祝の祝言を述べたてるもので,〈千秋万歳(せんずまんざい)〉の末流と考えられる。平安時代後期成立の《新猿楽記》には〈千秋万歳之酒禱(さかほがい)〉と見え,千秋万歳はこのころすでに職能として存在していたと思われる。鎌倉時代以降には宮中をはじめ寺社,武家などの権門を訪れるようになり,室町時代の中ごろには一般の民家にも門付してまわるようになった(《臥雲(がうん)日件録》)。1698年(元禄11)刊の《書言字考》には〈万歳は千秋万歳の略なり〉とあり,また〈万歳楽〉とも呼ばれていた(《世諺問答》)ようである。万歳の宮中への参入は大正時代中ごろまであったといい,民間では第2次世界大戦ころまでは盛んであったが,戦後はしだいに衰微し,現在は全国をめぐり歩く万歳の姿はほとんど見かけなくなった。
民俗芸能として地域に残るのは〈尾張万歳〉〈越前万歳〉〈伊予万歳〉などで,〈三河万歳〉〈秋田万歳〉〈加賀万歳〉〈会津万歳〉〈豊後万歳〉は衰微し,〈大和万歳〉〈仙台万歳〉〈津島万歳〉〈伊六万歳〉,沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は廃絶した(京太郎の芸系をひく民俗芸能は現存する)。
万歳は一般には太夫と才蔵の2人が一組になり,太夫が扇をかざし,いろいろとめでたい寿詞(ほぎごと)を言い立て,才蔵が小鼓を打ち囃して合の手を入れる掛合いで進行する。才蔵が複数のこともある。服装は古くは舞楽の《万歳楽》をまねてか,太夫は鳥甲をかぶっていた。中世も後期になるとかぶり物は侍烏帽子(えぼし)になり,着物は素襖(すおう)に平袴が普通である。門付には裁着袴(たつつけばかま)をはいた。幕末近くには太夫が才蔵を雇う才蔵市が立ったといい(《守貞(もりさだ)漫稿》),才蔵は大黒頭巾風のものをかぶり大袋を背負い,服装も自由になっていた。
現在残る万歳についてみると,〈尾張万歳〉は春日井郡矢田(現,名古屋市東区)の長母寺の開山無住が,寺男の生活援助のために作り与えたと伝え,これが農民にも伝承されて長母寺領の味鋺(あじま)と知多に定着したという。門付が主体で,日蓮宗の家で演ずる《法華経万歳》,浄土真宗の《六条万歳》,神道の《神力(しんりき)万歳》,大名屋敷の造りをほめる《御城(おしろ)万歳》,家を建てるときの祝歌である《地割(じわり)万歳》(以上を〈五万歳〉という)をもつ。ほかに《福倉持倉(ふくらもくら)》《入込(いりこみ)万歳》《御殿万歳》と〈三曲万歳〉がある。〈三曲万歳〉は鼓・三味線・胡弓を伴奏としたもので,万歳師たちによって舞台にかけられるようになった。また明治中期には嵐伊六が舞台万歳(伊六万歳)を専門とするようになり,これらが現在の漫才の成立に大きな影響を与えた。1925年知多の北川長福太夫が家元となり,現在5代目が伝承に努めている。
〈越前万歳〉は福井県越前市の旧武生市味真野に存し,旧村名のまま〈野大坪(のおおつぼ)万歳〉ともいう。鼓の代りに小ぶりの締太鼓(万歳太鼓)を用いたり,ときにかます烏帽子という特別なかぶり物を用いたりの格別な趣をもつ。《舞込御家万歳》《寿(ことぶき)万歳》《三番叟》《木やり万歳》《さいとり万歳》《扇尽し》の6曲は〈六段物〉と呼ばれ,県の無形民俗文化財に指定されている。〈加賀万歳〉は〈野大坪万歳〉からの分れという。
〈伊予万歳〉は愛媛県松山市,伊予郡などで,おもに舞台や座敷芸として演じられる。三味線,太鼓で囃し,太夫,才蔵,次郎松に,はでな頭巾,色じゅばん,袴姿の踊子(男子)が扇を翻して踊る演芸的なものである。これは江戸初期に上方の万歳を伝承したものというが,願人(がんにん)系の芸脈が混入したためと思われる。《柱揃》《豊年踊》《松づくし》など十数曲を伝える。
また,〈三河万歳〉は徳川家康が三河の出身であることから幕府の保護を受け,正月は江戸城に参入したという。江戸やその周辺を活動の場としたが,座敷に上がって演ずる檀那場万歳が主体で幕末まで盛んであった。現在は2系統に分かれ,愛知県西尾市の森下万歳(西野町万歳とも)が《御門開》の曲を,安城市の別所万歳(神道三河万歳とも)が《三羽鶴の舞》など3曲,計4曲を伝えるのみである。〈秋田万歳〉は県下にいくつかの万歳組織があり,地名をとって〈横手万歳〉〈大曲万歳〉などと呼ばれる。表裏六段ずつ12曲を伝えるほか,囃子舞,噺(はなし)万歳などの余興を演ずる。尾張万歳の血を濃くひくが,一般に地方の万歳は〈尾張万歳〉の影響を受けたものが多い。沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は京都からの伝来といい,禁中千秋万歳歌と同じ《御知行(うちじよう)》(《枡舞》)や越前万歳と同じ《さいとり万歳》が残る。
なお廃絶した〈大和万歳〉は,本拠地を法隆寺近くの村々とし,宮中をはじめ諸公家に参入するなどの歴史をもつが,伝承者が絶えた。宮中では《言立(ことだて)》《富久舞(ふくまい)》《京之町》《浜出》《都久志舞》《枡舞》の6曲が演じられたといい,歌詞を残している。
→千秋万歳 →漫才
執筆者:西角井 正大
万歳 (ばんざい)
長久,〈とこしえ〉の意であるとともに,死期をも指す。そして万歳の語が,歴史的に重要な意味をもつのは,慶賀,歓呼の詞としてである。中国においては,西周の金文にすでに〈万年無疆〉の例があるが,これは限りなく永遠の意で使われている。《詩経》の〈万寿無疆〉(〈豳風(ひんぷう)〉〈小雅〉など)は,賓客に対する万福万幸を祝すものである。戦国時代の《韓非子》顕学篇に至って祝福の詞として〈千秋万歳〉と熟した用例がみえる。人の死を指す語としては〈百年の後〉といういい方もあるが,国王,皇帝の死期をいうのに,直截な言表をさけて〈万歳千秋の後〉とか〈万歳の後〉と表現するのは,《史記》《漢書》をはじめとして多く見いだされるところである。
慶賀,歓呼の表現として万歳が使われるのは戦国時代の文献より現れ,上下ともども唐代(宋代の例もあるが)まで使われたが,それが皇帝に用いられた最初の例は,始皇帝に対するものであった。漢の武帝が嵩山(すうざん)に登ったとき,臣下は〈万歳を呼すこと三たび〉の声を聞いたと《漢書》武帝紀は記すが,この万歳は山神がとなえたのだという(荀悦の注)。皇帝に拝謁,慶賀するときの万歳三称(これを山呼とも雅称する)のしきたりはこの故事に始まる。中国において〈万歳〉が至尊の専称となるのは,皇帝による独裁政治が確立した宋代になってのことで,臣下が誤って万歳をとなえさせた結果,降職などの処罰をうけた例がみられる。万歳の歴史的な使用例をほぼあますところなく考証したのは,清の趙翼の《陔余叢考》であるが,それによれば,元代では朝賀の際,舞踏して万歳を呼し,明代では頓首万歳(皇帝の前で万歳ととなえるだけの無能な閣臣を〈万歳閣老〉といった)した。清朝では万歳の制はあったが,舞踏・三呼の万歳はなかった。
執筆者:稲庭 実 日本では《続日本紀》に788年(延暦7)4月,長い間雨が降らないので,桓武天皇がみずから庭に出て祈ったところ雨が降った。そこで群臣は皆,万歳ととなえたとある。また,795年正月平安京遷都に際して,平安ならびに聖主万歳の意を表した踏歌(とうか)の楽章を作り,一句ごとに〈新京楽,平安楽土,万年春〉をとなえた。天皇の慶賀に万歳をとなえたことは《三代実録》《栄華物語》にも記されている。いずれも〈バンセイ〉と発音し,今日でも禅宗では天皇の聖寿無窮を祝して〈バンゼー〉と発音している。一方,まんざい(万歳)はもと正月5日に行われた公事をいい,後世,新年に烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着て民間を舞い訪れる芸能者をいうようになった。1872年(明治5)9月12日京浜間の鉄道開行式に述べられた在京商人頭取祝詞の最後に〈君万歳君万歳〉とあり,78年11月9日の《かなよみ》の北陸道から鳳輦(ほうれん)還幸の記事に〈輦下百万の民戸国旗を掲げ,万歳を奏す〉とある。《明治事物起源》によると,近年万歳を高唱するようになったのは,89年2月11日,帝国憲法発布の盛典に観兵式があり,大学生が万歳を歓呼したのに始まるという。
執筆者:藤井 正雄
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万歳【まんざい】
正月,家ごとに回って祝言をのべ,歌い舞い,祝儀を請う門付(かどづけ)芸の一種。形式は時代と土地で違うが,ふつう風折烏帽子(かざおりえぼし)に素襖(すおう)を着た太夫と,頭巾をかぶり鼓をもつ才蔵とが一組になり,家ごとに祝言をのべ,滑稽(こっけい)な掛合をし,太夫が舞い才蔵が鼓を打つ。古く鎌倉・室町時代には,陰陽師(おんみょうじ)支配下の散所(さんじょ),声聞師(しょうもじ)などの賤民の行う千秋(せんず)万歳があったが,近世になって三河万歳,大和万歳そのほか,各地に集団が生まれた。明治以後は次第に衰えたが,今日も三河,知多の万歳は正月に諸方にでかけ,また河内・尾張など各地の万歳も残っている。
→関連項目千秋万歳|チョンダラー|漫才
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
万歳
まんざい
日本音楽の曲名。民俗芸能の万歳を素材としたもの。 (1) 地歌では城志賀作曲の二上り端歌物が代表的。前半には,大和万歳の「柱立て」および「えびす舞」の歌を用い,後半には禁中万歳歌 (千秋万歳) から出たとも,あるいは蓮如上人の作とも伝えられる子守歌『優女 (やしょめ) 』から出たともされる,やはり大和万歳の『京之町』によっている。鼓に合せて行う動きを表現した旋律は類型化し,他の万歳物の曲に転用されている。類曲に『御堂万歳』などがあり,替え歌も作られ,『歌系図』には,流石庵羽積作詞の『郭まんざい』が収録されている。 (2) (1) の三弦の替手は菊岡検校らによって作られたが,箏の手も各地で種々作曲され,ことに化政期 (1804~30) 頃に大坂の市浦検校が作曲したものは,オランダ渡来のオルゴールからヒントを得た特殊な調弦 (オランダ調子またはオルゴル調子 ) により,『和蘭陀万歳』といわれ,箏が替手式に三弦に合される曲の最初の曲といわれる。 (3) 山田流箏曲。1世中能島松声作曲による中歌曲。箏は半雲井調子-四上り平調子。三弦は本調子-二上り。 (4) 長唄。天保 13 (42) 年1月江戸河原崎座初演の2世尾上多見蔵五変化所作事『松朝霞彩色 (まつのあしたかすみのいろどり) 』の一つで,杵屋三五郎作曲と思われる。 (5) 常磐津節の『乗合船恵方万歳 (のりあいぶねえほうまんざい) 』の俗称。
万歳
まんざい
門付芸 (かどづけげい) の一つ。正月に家々を訪れ祝言を述べて米や銭を請う。平安時代末から室町時代には千秋万歳 (せんずまんざい) といい,唱門師などが業とすることがあった。三河万歳は江戸幕府開府の当時から出府したので広く知られた。太夫は風折烏帽子に素襖,高下駄をはき,これと組んで回る才蔵は大黒頭巾にたっつけ姿で,鼓を持っている。今日も行われている万歳には三河,大和をはじめ尾張,河内,秋田万歳などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
普及版 字通
「万歳」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
万歳
まんざい
門付(かどづけ)による祝福芸能の一つ。古代の予祝歌舞の歌垣(うたがき)に結びついた,足で拍子をとって歌う中国伝来の踏歌(とうか)からでたとされる。神の来臨にみたてて初春に各家を訪問し,家業の隆盛と家長の長寿の祝言を唱えたり,滑稽な所作の曲舞(くせまい)を舞う。中世には特定の村々に居住する陰陽師(おんみょうじ)配下の声聞師(しょうもじ)が,千秋(せんず)万歳と称して禁裏や諸家を祝福に歩いた。今日に命脈を保っているものに,三河・尾張・越前・加賀・会津・秋田・伊予の万歳がある。近世には三河万歳が出身が同じ徳川家の保護をうけ,尾張万歳が大名家,大和万歳が御所や公家とそれぞれ親密な関係をもった。昭和初期に話芸中心の寄席芸の漫才が,伝統的な万歳の形態を部分的に継承して登場した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
万歳
ばんざい
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 万治1.1(江戸・出羽守邸)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
万歳 (マンザイ)
植物。イワヒバ科の常緑多年草,園芸植物,薬用植物。イワヒバの別称
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の万歳の言及
【万歳】より
…長久,〈とこしえ〉の意であるとともに,死期をも指す。そして万歳の語が,歴史的に重要な意味をもつのは,慶賀,歓呼の詞としてである。中国においては,西周の金文にすでに〈万年無疆〉の例があるが,これは限りなく永遠の意で使われている。…
※「万歳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」