精選版 日本国語大辞典 「万歳」の意味・読み・例文・類語
まん‐ざい【万歳】
ばん‐ぜい【万歳】
ばん‐ざい【万歳】
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民俗芸能。祝福芸,門付芸(かどづけげい)の一つ。正月に家々の座敷や門口で予祝の祝言を述べたてるもので,〈千秋万歳(せんずまんざい)〉の末流と考えられる。平安時代後期成立の《新猿楽記》には〈千秋万歳之酒禱(さかほがい)〉と見え,千秋万歳はこのころすでに職能として存在していたと思われる。鎌倉時代以降には宮中をはじめ寺社,武家などの権門を訪れるようになり,室町時代の中ごろには一般の民家にも門付してまわるようになった(《臥雲(がうん)日件録》)。1698年(元禄11)刊の《書言字考》には〈万歳は千秋万歳の略なり〉とあり,また〈万歳楽〉とも呼ばれていた(《世諺問答》)ようである。万歳の宮中への参入は大正時代中ごろまであったといい,民間では第2次世界大戦ころまでは盛んであったが,戦後はしだいに衰微し,現在は全国をめぐり歩く万歳の姿はほとんど見かけなくなった。
民俗芸能として地域に残るのは〈尾張万歳〉〈越前万歳〉〈伊予万歳〉などで,〈三河万歳〉〈秋田万歳〉〈加賀万歳〉〈会津万歳〉〈豊後万歳〉は衰微し,〈大和万歳〉〈仙台万歳〉〈津島万歳〉〈伊六万歳〉,沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は廃絶した(京太郎の芸系をひく民俗芸能は現存する)。
万歳は一般には太夫と才蔵の2人が一組になり,太夫が扇をかざし,いろいろとめでたい寿詞(ほぎごと)を言い立て,才蔵が小鼓を打ち囃して合の手を入れる掛合いで進行する。才蔵が複数のこともある。服装は古くは舞楽の《万歳楽》をまねてか,太夫は鳥甲をかぶっていた。中世も後期になるとかぶり物は侍烏帽子(えぼし)になり,着物は素襖(すおう)に平袴が普通である。門付には裁着袴(たつつけばかま)をはいた。幕末近くには太夫が才蔵を雇う才蔵市が立ったといい(《守貞(もりさだ)漫稿》),才蔵は大黒頭巾風のものをかぶり大袋を背負い,服装も自由になっていた。
現在残る万歳についてみると,〈尾張万歳〉は春日井郡矢田(現,名古屋市東区)の長母寺の開山無住が,寺男の生活援助のために作り与えたと伝え,これが農民にも伝承されて長母寺領の味鋺(あじま)と知多に定着したという。門付が主体で,日蓮宗の家で演ずる《法華経万歳》,浄土真宗の《六条万歳》,神道の《神力(しんりき)万歳》,大名屋敷の造りをほめる《御城(おしろ)万歳》,家を建てるときの祝歌である《地割(じわり)万歳》(以上を〈五万歳〉という)をもつ。ほかに《福倉持倉(ふくらもくら)》《入込(いりこみ)万歳》《御殿万歳》と〈三曲万歳〉がある。〈三曲万歳〉は鼓・三味線・胡弓を伴奏としたもので,万歳師たちによって舞台にかけられるようになった。また明治中期には嵐伊六が舞台万歳(伊六万歳)を専門とするようになり,これらが現在の漫才の成立に大きな影響を与えた。1925年知多の北川長福太夫が家元となり,現在5代目が伝承に努めている。
〈越前万歳〉は福井県越前市の旧武生市味真野に存し,旧村名のまま〈野大坪(のおおつぼ)万歳〉ともいう。鼓の代りに小ぶりの締太鼓(万歳太鼓)を用いたり,ときにかます烏帽子という特別なかぶり物を用いたりの格別な趣をもつ。《舞込御家万歳》《寿(ことぶき)万歳》《三番叟》《木やり万歳》《さいとり万歳》《扇尽し》の6曲は〈六段物〉と呼ばれ,県の無形民俗文化財に指定されている。〈加賀万歳〉は〈野大坪万歳〉からの分れという。
〈伊予万歳〉は愛媛県松山市,伊予郡などで,おもに舞台や座敷芸として演じられる。三味線,太鼓で囃し,太夫,才蔵,次郎松に,はでな頭巾,色じゅばん,袴姿の踊子(男子)が扇を翻して踊る演芸的なものである。これは江戸初期に上方の万歳を伝承したものというが,願人(がんにん)系の芸脈が混入したためと思われる。《柱揃》《豊年踊》《松づくし》など十数曲を伝える。
また,〈三河万歳〉は徳川家康が三河の出身であることから幕府の保護を受け,正月は江戸城に参入したという。江戸やその周辺を活動の場としたが,座敷に上がって演ずる檀那場万歳が主体で幕末まで盛んであった。現在は2系統に分かれ,愛知県西尾市の森下万歳(西野町万歳とも)が《御門開》の曲を,安城市の別所万歳(神道三河万歳とも)が《三羽鶴の舞》など3曲,計4曲を伝えるのみである。〈秋田万歳〉は県下にいくつかの万歳組織があり,地名をとって〈横手万歳〉〈大曲万歳〉などと呼ばれる。表裏六段ずつ12曲を伝えるほか,囃子舞,噺(はなし)万歳などの余興を演ずる。尾張万歳の血を濃くひくが,一般に地方の万歳は〈尾張万歳〉の影響を受けたものが多い。沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は京都からの伝来といい,禁中千秋万歳歌と同じ《御知行(うちじよう)》(《枡舞》)や越前万歳と同じ《さいとり万歳》が残る。
なお廃絶した〈大和万歳〉は,本拠地を法隆寺近くの村々とし,宮中をはじめ諸公家に参入するなどの歴史をもつが,伝承者が絶えた。宮中では《言立(ことだて)》《富久舞(ふくまい)》《京之町》《浜出》《都久志舞》《枡舞》の6曲が演じられたといい,歌詞を残している。
→千秋万歳 →漫才
執筆者:西角井 正大
長久,〈とこしえ〉の意であるとともに,死期をも指す。そして万歳の語が,歴史的に重要な意味をもつのは,慶賀,歓呼の詞としてである。中国においては,西周の金文にすでに〈万年無疆〉の例があるが,これは限りなく永遠の意で使われている。《詩経》の〈万寿無疆〉(〈豳風(ひんぷう)〉〈小雅〉など)は,賓客に対する万福万幸を祝すものである。戦国時代の《韓非子》顕学篇に至って祝福の詞として〈千秋万歳〉と熟した用例がみえる。人の死を指す語としては〈百年の後〉といういい方もあるが,国王,皇帝の死期をいうのに,直截な言表をさけて〈万歳千秋の後〉とか〈万歳の後〉と表現するのは,《史記》《漢書》をはじめとして多く見いだされるところである。
慶賀,歓呼の表現として万歳が使われるのは戦国時代の文献より現れ,上下ともども唐代(宋代の例もあるが)まで使われたが,それが皇帝に用いられた最初の例は,始皇帝に対するものであった。漢の武帝が嵩山(すうざん)に登ったとき,臣下は〈万歳を呼すこと三たび〉の声を聞いたと《漢書》武帝紀は記すが,この万歳は山神がとなえたのだという(荀悦の注)。皇帝に拝謁,慶賀するときの万歳三称(これを山呼とも雅称する)のしきたりはこの故事に始まる。中国において〈万歳〉が至尊の専称となるのは,皇帝による独裁政治が確立した宋代になってのことで,臣下が誤って万歳をとなえさせた結果,降職などの処罰をうけた例がみられる。万歳の歴史的な使用例をほぼあますところなく考証したのは,清の趙翼の《陔余叢考》であるが,それによれば,元代では朝賀の際,舞踏して万歳を呼し,明代では頓首万歳(皇帝の前で万歳ととなえるだけの無能な閣臣を〈万歳閣老〉といった)した。清朝では万歳の制はあったが,舞踏・三呼の万歳はなかった。
執筆者:稲庭 実 日本では《続日本紀》に788年(延暦7)4月,長い間雨が降らないので,桓武天皇がみずから庭に出て祈ったところ雨が降った。そこで群臣は皆,万歳ととなえたとある。また,795年正月平安京遷都に際して,平安ならびに聖主万歳の意を表した踏歌(とうか)の楽章を作り,一句ごとに〈新京楽,平安楽土,万年春〉をとなえた。天皇の慶賀に万歳をとなえたことは《三代実録》《栄華物語》にも記されている。いずれも〈バンセイ〉と発音し,今日でも禅宗では天皇の聖寿無窮を祝して〈バンゼー〉と発音している。一方,まんざい(万歳)はもと正月5日に行われた公事をいい,後世,新年に烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着て民間を舞い訪れる芸能者をいうようになった。1872年(明治5)9月12日京浜間の鉄道開行式に述べられた在京商人頭取祝詞の最後に〈君万歳君万歳〉とあり,78年11月9日の《かなよみ》の北陸道から鳳輦(ほうれん)還幸の記事に〈輦下百万の民戸国旗を掲げ,万歳を奏す〉とある。《明治事物起源》によると,近年万歳を高唱するようになったのは,89年2月11日,帝国憲法発布の盛典に観兵式があり,大学生が万歳を歓呼したのに始まるという。
執筆者:藤井 正雄
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門付(かどづけ)による祝福芸能の一つ。古代の予祝歌舞の歌垣(うたがき)に結びついた,足で拍子をとって歌う中国伝来の踏歌(とうか)からでたとされる。神の来臨にみたてて初春に各家を訪問し,家業の隆盛と家長の長寿の祝言を唱えたり,滑稽な所作の曲舞(くせまい)を舞う。中世には特定の村々に居住する陰陽師(おんみょうじ)配下の声聞師(しょうもじ)が,千秋(せんず)万歳と称して禁裏や諸家を祝福に歩いた。今日に命脈を保っているものに,三河・尾張・越前・加賀・会津・秋田・伊予の万歳がある。近世には三河万歳が出身が同じ徳川家の保護をうけ,尾張万歳が大名家,大和万歳が御所や公家とそれぞれ親密な関係をもった。昭和初期に話芸中心の寄席芸の漫才が,伝統的な万歳の形態を部分的に継承して登場した。
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…長久,〈とこしえ〉の意であるとともに,死期をも指す。そして万歳の語が,歴史的に重要な意味をもつのは,慶賀,歓呼の詞としてである。中国においては,西周の金文にすでに〈万年無疆〉の例があるが,これは限りなく永遠の意で使われている。…
※「万歳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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