コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

常陸坊海尊 ひたちぼう かいそん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

常陸坊海尊 ひたちぼう-かいそん

平安後期-鎌倉時代の伝説的人物。
源義経の家臣。比叡(ひえい)山または園城(おんじょう)寺の僧ともいわれ,「源平盛衰記」「義経記」などにその名がみえる。弁慶(べんけい)とともに義経の都落ちにしたがうが,衣川の合戦をいきのび,不老長寿をえて源平合戦をかたりつたえたとされる。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

常陸坊海尊

生年:生没年不詳
平安末期の伝説的人物。荒尊とも。園城寺僧,また比叡山僧といわれる。源義経旧来の家臣だが,文治5(1189)年の衣川合戦に参戦せず失踪する。東北地方中心に生存説が多い。仙人となり,あるいは人魚の肉などを食して不老長寿となり,源平合戦や義経の物語を語るという。

(櫻井陽子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ひたちぼうかいそん【常陸坊海尊】

海尊を快賢,荒尊とするものもある。源義経の家臣。《源平盛衰記》巻四十二,延慶本《平家物語》第六末にその名が見え,前者ではもと叡山の僧であったとする。《義経記》では,もと園城寺の僧であったとし,義経の都落ちに同道して弁慶とともに大物(だいもつ)の浦で活躍し,衣川での義経の最期には,朝から物詣でに出て帰らず居合わせなかったとされる。同書では誰よりも先に逃げようとする海尊が,ほかに2,3ヵ所書かれていて,その背後に逃げ上手,生き上手としての海尊像がすでに成立していたものと思われる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

ひたちぼうかいそん【常陸坊海尊】

平安末期の伝説的人物。源義経の従者として「源平盛衰記」「義経記」などに登場。武勇に秀で、武蔵坊弁慶と並び称せられる。のち仙人となったと伝えられ、様々な伝説を生んだ。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

今日のキーワード

金城湯池

1 《「漢書」蒯通伝から。「湯池」は熱湯をたたえた堀》守りが非常に固く、攻めるのが難しい城。金湯。2 堅固で、他から侵害されにくい勢力範囲。「保守派の金城湯池」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

常陸坊海尊の関連情報