大山町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山県南東部,立山連峰に源を発し,富山平野東部を流れ,富山湾に注ぐ川。富山市と中新川郡の境界をなす。幹川流路延長56km,全流域面積368km2。源流は二つに分かれ,一つは岐阜県境の寺地山に発する真(ま)川で,立山カルデラ内を流れてきた湯川と合流して常願寺川となる。立山西斜面に源を発して西流するもう一つの源流称名(しようみよう)川は,途中壮大な称名滝をつくり,千寿ヶ原で合流する。上流部には段丘が,下流部には富山平野東部を占める大扇状地が発達している。急流で上流に崩壊地が多いことから古来暴れ川として著名であった。1858年(安政5)2月の大地震で鳶(とんび)山のカルデラ壁が崩壊し,その後の融雪期に崩壊した土石を伴った大洪水が発生して下流一帯に大被害をもたらした。91年にも大水害が発生,これを契機に本格的な改修工事が始められ,1906年以降はカルデラ内部の砂防工事も続けられているが,土砂の流出が多く,下流部では河床を高め天井川となっている。
一方,急流であることから電源開発もすすんでおり,常願寺川水系には8ダム,27発電所が設けられ,最大出力の総計は81万2500kW(1997)に及ぶ。とくに支流和田川上流の開発は大規模で,37年富山県電気局が着手,第2次世界大戦による中断ののち55年北陸電力が再開し,59年堤高140mの有峰(ありみね)ダムが完成,堪水面積5km2の有峰湖が生まれた。常願寺川の雪どけ水は下流扇状地の農業用水源として重要であるが,かつては両岸につくられた小用水は出水ごとに決壊し,また渇水に悩まされる状況を繰り返した。1891年の大洪水を機に用水の合口化がすすめられた。
執筆者:藤森 勉
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富山県中央東寄りを流れて富山湾に注ぐ川。一級河川。延長56キロメートル、流域面積368平方キロメートル。上流は真川(まがわ)と称名川(しょうみょうがわ)の二つに分かれる。本流の真川は立山(たてやま)連峰の薬師岳(やくしだけ)西斜面に発し、途中立山カルデラから流れ出る湯川と合流する。称名川は立山の雄山(おやま)直下では浄土沢とよばれ、称名滝となって落下し、立山町千寿ヶ原(せんじゅがはら)で真川と合流して常願寺川となる。下流で和田川と小口(おぐち)川をあわせて両岸に段丘を形成し、富山市上滝(かみたき)で典型的な扇状地を形成する。1858年(安政5)の大地震で大鳶(おおとんび)山のカルデラ壁が大崩壊し、上流の谷壁の崩壊もあり、融雪期には下流一帯は泥水の海と化した。大雨ごとに砂礫(されき)の流出が激しく、1906年(明治39)以来カルデラ内部の砂防工事が続けられている。常願寺川下流では毎年100万トン近い土砂の流出があり、河床が高くなり、富山市と立山町を結ぶ大日(だいにち)橋付近では水田面より約8メートルも高い天井(てんじょう)川となっている。常願寺川水系のダムは有峰(ありみね)ダムなど8か所、発電所は27か所、最大出力は、約80万キロワット(2005)に達する。
[深井三郎]
『『常願寺川沿革誌』(1962・建設省北陸地方建設局富山工事事務所)』
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