精選版 日本国語大辞典 「平林たい子」の意味・読み・例文・類語
ひらばやし‐たいこ【平林たい子】
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小説家。明治38年10月3日長野県に生まれる。家は旧家であったが没落の一途をたどっていた。県立諏訪(すわ)高等女学校を卒業後、上京して中央電話局交換手になるが、しだいにアナキスト・グループに近づく。満州(中国東北)を放浪し、帰国後、『文芸戦線』同人の小堀甚二と結婚する。1927年(昭和2)5月『大阪朝日新聞』の懸賞短編小説に『嘲(あざけ)る』が入選し、文壇に登場した。同年6月、労農芸術家連盟に参加し、『文芸戦線』に発表した『施療室にて』(1927)で新進プロレタリア作家として認められる。37年、人民戦線事件で検挙されるが留置中に腹膜炎で重態となり釈放された。この体験を踏まえて第二次世界大戦後『かういふ女』(1946)を執筆し、第1回女流文学賞を受賞。50年代には長編自伝小説『砂漠の花』(1955~57)や懐古集『自伝的交友録・実感的作家論』(1960)などを精力的に執筆した。晩年、難病と闘いつつも『宮本百合子(ゆりこ)』(1971~72)を書き継いだが、肺炎のため昭和47年2月17日没。没後、平林たい子文学賞、諏訪市に記念館が設けられた。
[金井景子]
『『平林たい子全集』全12巻(1976~79・潮出版社)』
小説家。本名タイ。長野県諏訪郡中洲村生れ。諏訪高等女学校卒業後上京し,電話交換手,店員などの職についたが,アナーキスト・グループに近づき,虚無的生活におちいった。1924年には,朝鮮,満州を放浪,施療病院で女児を出産したが,病死させた。そういう痛烈な生活をリアルに作品化した《嘲る》(1926),《施療室にて》(1927)によって,プロレタリア文学の新進作家として認められた。27年《文芸戦線》同人小堀甚二と結婚,戦争中は夫婦ともに検挙されたり,病気に倒れたり,苦難つづきであった。戦後旺盛な創作活動を再開,《かういふ女》(1946),《地底の歌》(1949),《砂漠の花》(1957),《秘密》(1967)などを残した。没後平林たい子文学賞が設定された。
執筆者:木村 幸雄
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