改訂新版 世界大百科事典 「年功的労使関係」の意味・わかりやすい解説
年功的労使関係 (ねんこうてきろうしかんけい)
年功を中心とした人事処遇の制度総体のこと。年功という用語は,(1)労働者が長年の経験によって獲得した熟練,(2)労働者が長年特定の企業に勤務したことによる功労,という二つの意味で使われてきた。日本の労使関係においては,この2様の意味をもつ年功がいろいろな人事処遇制度を貫く原理となってきた。これは,表に示した身分(現在は資格と呼ばれることが多い)・職分(現在は職制と呼ばれることが多い)制度によくあらわされている。この表の意味は,勤続年数5年未満の者は,原則として身分は並工で役付になることはないが,5~10年の間に能力評価,業績評価によって,順次三等工手に昇格し,伍長は三等工手の中から選ばれる(以下同じ)ことである。なお,事務系職員の身分は書記,主事補,主事,参事,理事,職分は係長,課長,部長に,技術系職員の身分は技手,技師補,技師,主任技師,職分は係長,課長,工場長に置き換えられる。この制度の場合,従業員の採用が新規学卒者を卒業時に採用する定期採用に限られるとすれば,年齢,勤続年数,経験年数はほぼ一致し,多少の早い遅いはあっても,ほぼこれに応じて身分,職分ともに高くなり,報酬も改善される。これは年功的昇進制度といわれる。
また,日本の企業の報酬制度の基礎である基本給は,原則として初任給と定期昇給によって決められている。初任給は採用時の基本給であり,定期昇給制度は毎年一定の時期(多くは4月1日)に全従業員の基本給を上方に改訂する制度で,この場合,個々の従業員について職務,過去1年間の勤怠,業績,能力の伸長度などを評価し,昇給額または昇給率に差を設けている。もし従業員が,原則として学校卒業時に定期採用されるとすれば,基本給は初任給から始まり,その後,年齢,勤続年数,経験年数とともに定期昇給,年功的昇進によって,個人により差はあるが,上昇することになる。これは年功賃金といわれる。
さらに,日本の企業では,従業員が退職する場合,懲戒解雇,自己都合退職,会社都合退職,定年退職など退職理由によって支給率に違いがあるが,退職一時金が支払われる制度がある。この退職金は,原則的には基本給×勤続月数×係数で計算されるから,勤続年数が長いほど有利であり,年功累進的退職金制度といわれ,また定年退職の場合,最も優遇される。このような人事処遇制度のもとでは,従業員が他企業に移動することは,既得権,期待権を放棄することになり,不利になるうえに,定年退職の場合には,老後生活の支えになるかなりの額の退職金を受領できるので,いわゆる終身雇用制の制度的表現ともいえる。
背景
こうした年功的労使関係は経済学的には,後発工業国として発達した日本の企業が必要な熟練労働者,職員,管理者を養成し,他企業に引き抜かれないように確保するためにつくられた制度として説明される。すなわち,近代産業に必要な熟練労働者,職員,管理者を社会的に養成し訓練し供給する徒弟制度などが存在しなかった日本では,学校で基礎的教育を受けた未熟練労働者を採用し,企業内で訓練するほかなく,しかも訓練の中心をOJT(on-the-job-training,職場での訓練)に頼らざるをえなかった。この場合には,勤続年数=経験年数が熟練度の高低の指標となる。昇進,昇給の運用が差別による競争刺激的なものであるから,とくにそうである。また,急速な経済成長のなかで,熟練労働者,職員,管理者が不足している場合には,彼らの引抜き防止が必要であり,さらに欠員が生じた場合,直近下位の者を昇進させることが募集費,訓練費の面からみて経済的であったからである。
また,社会学的には,日本の家族主義における忠誠と庇護,長幼の序などの思想の影響によるものとの説明もある。なぜなら,この制度のもとでは,報酬は従業員が加齢に伴って増大する世帯生活費の増加,すなわち単身世帯→夫婦世帯→扶養子ある世帯→引退世帯という変化に見合うものであり,かつ企業に対する功労(職務,勤怠,能力,業績など)によって差がつけられ,また程度の差はあれ先任者は後輩より報酬も地位も高いからである。
第2次大戦後の変化
このような年功を基礎とした人事処遇の諸制度は,第2次大戦後,とくに1960年代の高度経済成長期に,以下のような事情から,制度上も思想上もいろいろな変化を受けてきた。
(1)戦後急速に成長した日本の労働組合は,前述の労使関係の制度,慣行を前提として組織されたから,その大部分が特定企業の職員,労務者の正規従業員から構成される工職混合の企業別組合であり,前述の諸制度,慣行を団体交渉,労使協議により労働協約,賃金協定,退職金協定,その他の諸規則として制度化することに努めてきた。また,敗戦後の生活困窮のため,年功賃金の生活保障的要素が強調された。その結果,年功的諸制度が機械的,画一的に運用されるようになり,競争刺激的能力的運用が薄れてきた。
(2)1950年代に急速に進展した技術革新と進学率の上昇による従業員の高学歴化とは,高年齢=長勤続の熟練労働者の中に新技術に適応できない者を発生させるとともに,短勤続=高学歴の従業員が新技術の担い手としてあらわれ,年齢,勤続年数は熟練度の指標としての意味が希薄になった。
(3)1960年代以降,若年労働力不足のために,中小企業では定期採用により必要な新規学卒労働力を獲得することが難しくなり,中途採用者が増加した。こうして,経営者の中でも能力主義管理の思想が主張され,また能力評価,業績評価の技術が開発・導入され,賃金についても従業員がやっている職務の難易度,責任度で決める職務給,職務進行能力を基準とする能力給が導入され,初任給,昇給による基本給プラス職務給,能力給という併存型賃金体系が普及し,その結果,年齢別・勤続年数別賃金格差は縮小してきた。
70年代に入ると,人口の急速な高齢化が認識されるようになり,従来一般的であった55歳定年を60歳定年に延長することが労使間および政府の重要課題となった。定年制は年功的労使関係制度の重要な一環であり,定年延長の場合,次のような問題が出てくる。(1)年功的労使関係をそのままにして定年延長を行うと,昇進の頭打ちが生じ,従業員のモラール・ダウン,企業活力の低下が起きる,(2)定期昇給制度をそのままにして定年延長を行うと,従業員が高齢になって職務遂行能力の伸長が期待できないにもかかわらず,基本給が上昇し,また高賃金の高齢従業員を低賃金の若年従業員で入れかえることができず,総労働コストの増大をもたらすことになる。(3)退職金制度をそのままにして定年延長を行うと,定期昇給による基本給の上昇と勤続年数が長くなることによって,退職金負担が過大になる。そこで,定年延長に伴って,(1)職能資格制度,専門職制度のように,年功的昇進によらず,専門的能力を評価することによりモラール・アップを図る人事制度を導入する,(2)賃金における年功カーブを寝かせる,一定年齢以上では定期昇給を行わない,一定年齢以上では逆に基本給を下げるなどの措置をとる,(3)旧定年以降は定期昇給を行わず,退職金計算の際勤続年数に加算しないなどの方法で退職金を凍結する,(4)一定年齢以上については自己都合退職の場合も退職金計算を定年退職と同じにし,定年前の退職を奨励する早期退職優遇制度を導入するなど,年功的労使関係の修正が行われてきた。しかし,高年齢者の賃金の頭打ちや低下も子どもが独立して生活費が少なくてすむこと,職務遂行能力が停滞ないし低下することによって合理化されているように,この制度の根本が崩れてきたとはいいにくい。
執筆者:氏原 正治郎
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