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定慶 じょうけい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

定慶
じょうけい

鎌倉時代の仏師。寿永年間から約 100年間に定慶と称する仏師が3人存在し,伝記が不明で混同されることが多い。 (1) 運慶の次男で康運を改め,大仏師法印定慶と称した慶派の仏師。写実的作風に宋風の影響を強く受け,作品に寿永3 (1184) 年の春日大社散手面,建久7 (96) 年の興福寺維摩居士』,建仁1 (1201) 年益田家の『帝釈天』,翌年の興福寺『梵天』『金剛力士』などがあり3人のなかで最も有名。

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デジタル大辞泉の解説

じょうけい〔ヂヤウケイ〕【定慶】

鎌倉時代の慶派の仏師。
大仏師法師定慶。鎌倉前期に活躍。作、興福寺東金堂の維摩居士(ゆいまこじ)像、同寺の梵天・帝釈天像など。生没年未詳。
肥後法眼定慶。鎌倉前期から中期に活躍。作、大報恩寺の准胝(じゅんでい)観音像、鞍馬寺の聖観音像など。生没年未詳。
越前法橋(ほっきょう)定慶。鎌倉後期に活躍。伝存作品はないが、法隆寺新堂の日光・月光菩薩像などの修理に従事したことが知られる。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

定慶【じょうけい】

鎌倉時代の仏師。当時,定慶を名乗る仏師が3人あり,運慶の次男,あるいは康慶の弟子と伝える大仏師法師定慶(生没年不詳)は興福寺維摩像(1196年)や金剛力士像(1190年―1198年ころ)を残している。

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうけい【定慶】

鎌倉時代の慶派の仏師。この名の仏師は鎌倉時代に大仏師法師定慶,肥後法眼(ほうげん)定慶,越前法橋(ほつきよう)定慶の3人がいたと考えられる。(1)大仏師法師定慶 康慶の弟子ともいい1196年(建久7)興福寺東金堂維摩居士像,1202年(建仁2)同寺梵天,帝釈天を造っており,同時代の金剛力士像も建久年間(1190‐99)の彼の作とする記録もあり,興福寺や春日社を中心に製作したことがわかる。宋代彫刻の作風を加味した,やや執拗な写実傾向を示す作家で,非常にすぐれた技量を見せている。

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大辞林 第三版の解説

じょうけい【定慶】

鎌倉時代の仏師。
興福寺の維摩居士・梵天・帝釈天像の作者。大仏師法師定慶。生没年未詳。
1184~?) 鞍馬寺の聖観音像の作者。康慶こうけいの弟子といわれる。肥後法眼定慶。
法隆寺西円堂の薬師如来像、同寺新堂の日光・月光菩薩像の修理をした仏師。現存作品はない。越前法橋定慶。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

定慶
じょうけい

鎌倉時代の慶派(けいは)(七条仏所)の仏師。この名の仏師は当時3人いたと考えられる。大仏師法師(ほっし)定慶、肥後法眼(ひごほうげん)定慶、越前法橋(えちぜんほっきょう)定慶(いずれも生没年不詳)がそれである。第一の法師定慶は康慶の弟子ともいわれ、1196年(建久7)に興福寺東金堂維摩居士(ゆいまこじ)像、1202年(建仁2)に同寺梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)像をつくっており、同寺の金剛力士像も建久(けんきゅう)年間(1190~99)の彼の作とする記録がある。興福寺や春日(かすが)大社を中心に宋(そう)代彫刻の作風を加味した写実的な傾向の制作を行い、優れた技量を示した。第二の肥後法眼定慶は、1224年(貞応3)に京都大報恩寺の六観音像6躯(く)と毘沙門天(びしゃもんてん)像(東京芸術大学)、27年(嘉禄3)に鞍馬寺(くらまでら)聖観音像、42年(仁治3)に兵庫石龕寺(せきがんじ)の金剛力士像、56年(建長8)に岐阜横蔵寺の金剛力士像などの作があり、鎌倉へも下向したという記録がある。彼は造像銘文で自分の名に「坪坂住」とか「南方派」と肩書しているので、慶派一門ではあろうが、なにかの事情で奈良地方で独立していたかとも思われ、第一の定慶よりさらに宋風の影響が強い。第三の越前法橋定慶は鎌倉後期の13世紀末の記録に現れるが、法隆寺新堂の日光・月光菩薩(ぼさつ)像などの修理の事実があるだけで、作品は残っていない。[佐藤昭夫]

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世界大百科事典内の定慶の言及

【鎌倉時代美術】より

…彫刻界では運慶や快慶からその子や弟子たちの世代に入る。康勝が一瞬の動態を写生的にとらえた空也上人像(六波羅蜜寺)を,定慶が宋代彫刻の過度の写実をとり入れた聖観音像(鞍馬寺)をつくったのはこの時期である。なかんずく運慶の長子湛慶は運慶の力動感あふれる存在性と快慶の絵画的あるいは説明的ともいえる写実とを調和させた様式を確立し,1251‐54年(建長3‐6)に蓮華王院本堂(三十三間堂)の復興造仏を成し遂げた。…

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