日本最古の海法。もともと一定の名称はなく,《廻船大法》《船法度》《船法》などと呼ばれていたが,近年はだいたいこの呼称に統一されるようになった。全31ヵ条からなるが,43ヵ条などのものもあり,これは後世の追加によると考えられる。末文に,鎌倉時代前期の1223年(貞応2)に摂津兵庫,土佐浦戸,薩摩坊津の3人の船主らが作成した船法に北条氏が袖判を加えたと記してあり,鎌倉幕府公認のものとしている。しかしこれは本書を権威づけるための後世の仮託であって,実際の成立年代はこれよりはるかに下った室町末期と考えられる。古くから船仲間の間に通用していた,地方ごとに異なったさまざまな慣行が,海運の発展に伴ってしだいに広範な地域にまたがる統一的な慣行にまで成長し,さらにそれが成文化したものが《廻船式目》であったといえる。
その内容は多様で,借船に関する規定,積荷の損害補償のあり方,船舶どうしの衝突における責任の決め方,はね荷と共同海損に関する規定,漂着船の処理方法など,いずれも具体的でかなり進んだ規定である。これによって当時の日本の海運界が相当高度の発達段階にあったことがうかがわれ,これと同水準の海法は,ヨーロッパにおいても15世紀以後の商業の隆盛を背景にしてイタリアのベネチアに初めて現れる。
《廻船式目》は中世のみならず近世に至るまで,法としての生命を持ち続ける。無主物としての漂着船は優先的に寺社に寄進するという,第1条の寄船規定などのように,多分に中世的で近世には継承されがたい条文もあるが,その他はおおむね近世社会にも妥当する。そのため近世に入っても,全国各地でこの式目が書写され,現在まで多数残存することとなった。
執筆者:新城 常三
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わが国最初の海運・海商に関する成文法。内容は、難破船の救助、海損保障、船の貸借規定など多岐にわたる。条数は、30箇条から43箇条まで伝本によって異なる。奥書に、1223年(貞応2)3月、摂津兵庫(ひょうご)、土佐浦戸(うらど)、薩摩坊津(さつまぼうのつ)の住人3名が、公家(くげ)よりの下聞に対して「船法」を上申し、それを記録したものと記されている。この年記は、同年に諸浦の調査を含む諸国大田文(おおたぶみ)の撰進(せんしん)が進行していたこととなんらかの関係があろう。一般に、実際の成立が近世的廻船が勃興(ぼっこう)した織豊(しょくほう)時代とされている点は妥当であるが、1415年(応永22)の摂津尼崎(あまがさき)の問丸(といまる)代官の年貢船送請文(うけぶみ)に「海上の事ハ、廻船の法に任せ候」とあるように、この式目の部分的、慣習法的前提は、より早くから存在したことも留意すべきである。
[保立道久]
『『中世日本の商業』(『豊田武著作集 第2巻』所収・1982・吉川弘文館)』
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日本最古の海商法。末文に1223年(貞応2)成立と記すが,これは権威づけのための仮託で,実際の成立は戦国期と推定される。中世以来の各港津の発達,運送業者の分業化や座的団体の形成とそれにともなう権利強化,活動範囲の広がりが,古くから各地方に存在した慣習法をもとに,広範囲な地域に統一的に通用する成文法の成立を促した。写本も多く条文数もまちまちだが,原文は31カ条で,のち修正・付加された。内容は多様だが,船主・荷主・船頭・水主(かこ)それぞれに対する共同海損の規定が多くを占める。近世に入ると海法も多様化するが,「廻船式目」はその核として継承された。
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