弘仁貞観文化(読み)こうにんじょうがんぶんか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「弘仁貞観文化」の意味・わかりやすい解説

弘仁貞観文化
こうにんじょうがんぶんか

主として美術史上用いられる名称。弘仁 (810~824) ,貞観 (859~877) の平安時代前期を中心とした文化。美術史においては平安時代を2期に分け,後期を藤原文化 (→藤原時代 ) とするのに対し,延暦 13 (794) 年の平安遷都から遣唐使が廃止された寛平6 (894) 年までの約1世紀の平安時代前期の文化を呼ぶ。この期の美術における特色前代になかった真言,天台両宗の密教の影響が強く,神秘的,呪術的色彩が強い。平安時代の仏教界においては,寺院は従来のように都の周辺ないし平野部にはおかず,都から離れた山中に建立したため,従来の伽藍配置が大きく変った。現存している当時の建築物には,大和の室生寺金堂があり,いかにも山岳仏教にふさわしい簡素なたたずまいをしている。彫刻はかなり現存しており,室生寺金堂の釈迦如来像一木造 (いちぼくづくり) で独特の翻波 (ほんぱ) 式衣文を用い,全身に力の満ちている傑作である。このほか大和法華寺や近江向源寺 (渡岸寺) の十一面観音像,河内観心寺の如意輪観音像,京都神護寺の薬師如来像は代表的作品である。高野山明王院の赤不動,近江園城寺 (おんじょうじ) の黄不動は密教で重んじられる不動像の力に満ちた姿をよく示し,京都教王護国寺 (東寺) の龍智龍猛の像もすぐれたものである。書道では嵯峨天皇,空海,橘逸勢 (たちばなのはやなり) が三筆と称せられ,その秀抜な唐風の筆跡が高く評価された。空海筆として確実なものには京都教王護国寺の『風信帖』,神護寺の『灌頂歴名 (かんじょうれきめい) 』などがある。

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