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御館 おたて

日本の城がわかる事典の解説

おたて【御館】

新潟県上越市にあった城館。かつて越後の中心地として府中あるいは府内と呼ばれていた一角、今日のJR直江津駅の西南方、関川の自然堤防上にあった中世の城館である。東西約250m・南北約300mの規模を持ち、主郭を含め5つの郭で構成されていたもので、越後では最も規模の大きな城館とされる。上野国の平井城(群馬県藤岡市)を居城としていた関東管領上杉憲政は1551年(天文20)3月、小田原北条氏(北条氏康)が上野に侵攻したことから、長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後に逃れた。謙信は憲政を迎え、その居館(関東管領館)として、弘治年間(1555~58年)に居城の春日山城(上越市)の城下に建設したといわれている。謙信はこの館を外交館としても使用した。その後、御館は謙信の死後の1578年(天正6)、上杉景勝上杉景虎の2人の養子が争った御館の乱の主戦場の一つとなった。御館の乱では景勝が春日山城を拠点としたのに対し、景虎は春日山城を脱出して御館を拠点とした。翌1579年(天正7)2月18日、景勝は御館を包囲して食糧を遮断し、3月17日に一斉攻撃を行い、御館は炎上・落城した。このとき、上杉憲政は春日山城に和議交渉に向かう途中で景勝の兵により殺害された。上杉景勝が豊臣秀吉により会津へ移封された後、この地に入った堀秀治は御館跡を利用したともいわれるが、1599年(慶長4)時点ですでに耕地になっていたといわれる。1964年(昭和39)に行われた跡地の発掘調査で、建物や庭園、井戸跡が見つかり、櫛や簪のほか鉛製の銃弾なども発見された。現在、御館跡の一部が御館公園となっている。園内には御館があったことを記した石碑が建っている。JR信越本線・北陸本線直江津駅から徒歩約10分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

み‐たち【館】

国府の庁。また、領主の役所。
「―に参りて申さんとて、走りて行きぬ」〈今昔・二五・一一〉
領主。主君。
「―も上様(かみさま)も、死出の山と申す道越えさせ給ひて」〈義経記・八〉

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大辞林 第三版の解説

みたち【御館】

国府の庁を敬っていう語。 「 -より出でたうびし日より/土左」
貴人の館やかたを敬っていう語。 「我らのまゐる-はこれでござるか/狂言・餅酒」
領主。殿様。 「此れは-の名立にも有らんと云て/今昔 24

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の御館の言及

【被官百姓】より

…信濃国(長野県)伊那郡を中心に,江戸時代に存在した農繁期の農業労働や家事労働を提供する小作人をいう。この小作人を持つ地主を〈おやかた〉とか〈おえい〉と呼び,〈御館〉〈御家〉の字をあてている。史料的に跡づけられる例として伊那郡虎岩村の平沢家をみると,同家は古くは土地の土豪下条氏の家臣で,武田,織田,徳川の諸氏が信濃南部を席巻したころには次々とそれらに臣従し,知行地を認められている。…

※「御館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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