徳島ラジオ商殺し事件(読み)とくしまらじおしょうごろしじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳島ラジオ商殺し事件」の意味・わかりやすい解説

徳島ラジオ商殺し事件
とくしまらじおしょうごろしじけん

1953年(昭和28)11月5日未明、ラジオなどの電気製品を商う男性が、刃物で刺されて死亡した事件。内縁の妻であった冨士茂子(ふじしげこ)が殺人罪で懲役13年の判決を受けて服役したが、その後も無実を訴え続けた。第五次再審請求の途中で病死したが、親族が起こした第六次請求で再審開始が認められ、再審で無罪となった。死者に対して再審が開始される死後再審の最初の事例として、社会の注目を集めた。

[江川紹子 2017年1月19日]

事件発生~判決

現場は、徳島県徳島市のラジオ店奥の住居部分。被害者は、何者かに襲われ、9か所を刺されて死亡した。同じ部屋に茂子と当時9歳の娘がいた。茂子もまた、左胸に浅い傷を負っていた。屋根上の電線、電話線が切断され、現場には中古の懐中電灯が遺留されていた。また、隣で新店舗を建てる工事が行われていたが、そこで匕首(あいくち)1本がみつかっている。布団上には、靴の足跡が二つ残されていた。近くを通った人から、不審な男を見た、という目撃情報もあった。

 徳島市警は、外部から犯人が侵入したとみて捜査を進めた。地元の暴力団関係者や窃盗(せっとう)の常習犯など、「附近不良徒輩(とはい)」と目された者を相次いで別件逮捕し、本件について追及した。その結果、容疑者2人を犯人と断定したが、証拠不十分で起訴には至らなかった。

 事件発生当時は、国家地方警察と市町村自治体警察の二本立てであった警察組織は、1954年の警察法の改正により、現在の都道府県警察に一本化された。それに伴う人事異動もあり、外部犯人説に基づく捜査は適切に引き継がれず、頓挫(とんざ)した。

 一方、徳島地検の若手検事らが専従捜査班をつくり、内部犯行説に基づく独自の捜査を開始した。現場と同じ敷地にある小屋に寝泊まりしていた、当時17歳と16歳の住み込みの店員2人に対して集中的な取調べを行った。そして1954年7月から8月にかけ、1人を電話線などを切断した容疑で、もう1人を遺留品の匕首を所持した容疑で逮捕・勾留(こうりゅう)した。2人は、その後家庭裁判所に送致され、鑑別所での観護措置に付され、それぞれ45日間、27日間身柄拘束された。その間に、同地検による、さらに集中的な取調べを受け、被害者と茂子の格闘を目撃したことや、茂子に頼まれて電話線などを切断したり包丁を川に投棄したこと等を認める2人の供述調書が大量に作成された。

 1954年8月13日に逮捕された茂子は、犯行を否認。いったんは自白調書の作成に応じたが、その後これを翻し、否認のまま殺人罪で起訴された。

 公判で、茂子は一貫して無実を主張したが、徳島地裁は夫の女性関係などに悩んだ末の計画的殺人として懲役13年を言い渡した。二審の高松高裁は、計画性はなく突発的な犯行であったとしたものの、控訴は棄却。現場にいた茂子の娘が「覆面のおじさんが部屋に入ってきた」と証言したが、裁判所は「年少者の見聞の確実ならざることは当然」として取り合わなかった。店員2人の捜査段階での供述調書と公判廷での証言が、有罪認定の決め手になった。茂子は上告したものの、その後これを取り下げ、判決は1958年5月に確定した。

[江川紹子 2017年1月19日]

再審請求

判決確定と相前後して、本件の真犯人と称する男が、静岡県警に出頭。報道でそれを知った茂子の親類が調査を始め、元住み込み店員の1人が供述や証言は虚偽であったと告白する手記を入手し、法務省人権擁護局に人権救済を申し立てた。同局と徳島地方法務局が協働で調査を開始。店員は2人とも、証言は虚偽と認め、偽証罪で告訴されるとともに、警察に自ら出頭した。

 徳島地検は2人をいずれも不起訴処分としたが、徳島検察審査会は「起訴相当」の議決を行った。当時は、検審議決による強制起訴の制度はなく、同地検は不起訴処分を維持した。

 1959年3月、第一次再審請求が高松高裁に対してなされたが、茂子本人ではなく代理人の弁護士が請求したことなどから、不適法として棄却された。

 茂子側は、店員の偽証告白を理由として、徳島地裁に第二次再審請求を行ったが、棄却された。高裁への即時抗告、最高裁への特別抗告も棄却された。

 この再審請求審で2人の店員は、原審での証言は虚偽だと述べたため、茂子側はふたたび2人を告訴。この時も不起訴処分となり、同検審は再度「起訴相当」を議決したが、同地検はまたも不起訴処分を維持した。

 1962年10月に行った第三次再審請求も棄却。即時抗告、特別抗告も同様の結果であった。茂子は1966年11月に仮出所。1968年に第四次再審請求を起こしたが、これも認められなかった。

 その後、「再審請求審においても、『疑わしいときは被告人の利益に』との刑事裁判の原則が適用される」とする、最高裁の「白鳥決定」(1975年)を境に、弘前(ひろさき)大学教授夫人殺し事件、加藤老事件、財田川(さいたがわ)事件など相次いで再審開始が認められ、再審の可能性が以前に比べ、少し広がった。

 1978年1月、茂子は第五次再審請求を行った。この請求審で、検察側は22冊の「不提出記録」を開示。裁判では伏せられていた捜査段階の証拠が明らかにされた。また、2人の元店員も証言し、原審での偽証を認めた。

 ところが、この再審請求中に茂子は腎臓癌(じんぞうがん)で重篤となったため、弟姉妹4人が1979年11月8日に第六次再審請求を行った。茂子は同月15日に死亡。第五次請求は終了した。

 徳島地裁は1980年12月13日、弟姉妹による再審請求が適法であると認め、第五次請求審での審理のすべてを第六次請求審が実質的に引き継ぐことができるとしたうえで、茂子を犯人とした事実認定は「もはや維持しがたい」と、第六次請求での再審開始を決定した。

 検察側は即時抗告したが、1983年3月12日、高松高裁は抗告を棄却。検察側は特別抗告を断念し、再審開始が確定した。

 再審で検察側は、31人の証人と4件の鑑定を申請し、懲役13年を求刑するなど、最後まで有罪立証を続けた。しかし徳島地裁は1985年7月9日、「検察官の主張は極めて是認し難い」と退け、無罪判決を言い渡した。判決は「外部犯人の存在に結びつく積極的証跡が認められる」として、内部犯行説にこだわった検察の見立てを否定した。

 判決言い渡しの後、茂子の妹が「裁判長さま、お願いがあります。裁判所に来られなかった姉茂子にお言葉を」と声をかけたが、裁判長は無言で法廷を去った。

 検察は控訴を断念し、無罪判決が確定した。

[江川紹子 2017年1月19日]

本件の特徴

本件は、警察制度の大改革のなかで、外部犯行説で捜査を続けていた警察の捜査が滞るなか、検察が内部犯行説を想定し、それに固執したことから、本来は被害者である女性が加害者にさせられた事件といえる。

 第六次再審請求審の決定は、徳島地検の問題点として、
(1)証拠を厳密に検討せず、ごく一部の証拠を独断的に解釈して犯人像を想定した。

(2)早期に強引な身柄捜査に移行した。証拠に基づいて犯人に迫るのではなく、犯人像を想定したうえで、関係者を身柄拘束し、供述を強制するという典型的な見込み捜査を行った。茂子有罪を根拠づける証拠はすべて供述証拠であるが、物証や実況見分調書など客観的な証拠は外部犯人の侵入を裏づけていた。

(3)未成年の店員2人を、十分な裏づけ証拠もないままに逮捕し、長期間身柄拘束した。これが、検察官が思いのままの供述を2人から引き出す温床になった。

――などの点をあげている。

 さらに、このときに右陪席裁判官であった秋山賢三(けんぞう)(1940― )は、退官後に著書で本件での検察官の証拠隠しの問題に触れている。同書によれば、茂子の裁判に提出された現場の実況見分調書には写真が28枚しか添付されていなかったが、第五次再審請求審で検察側が開示した「不提出記録」のなかにあった実況見分調書には34枚あった。裁判に提出されなかった写真のなかには、茂子ら家族が寝ていた布団のシーツに「ラバーシューズの靴跡」がはっきりと見てとれるものもあった。秋山は、この写真を調書からはがし、外部犯人説を裏づける証拠を隠したまま裁判を進めた検察の意図をいぶかしみ、これが裁判所に提出されていたとすれば、茂子を犯人とする根拠は「雲散霧消したのではないだろうか」と書いている。

 また、第六次再審請求審の決定は、有罪認定を否定する証拠は、再審請求審で出された新証拠のなかだけでなく、有罪判決を出した一、二審の確定記録のなかにも「数多く含まれていた」として、これも本件の特徴の一つであると指摘。一、二審の事実認定は「厳密に証拠に基づき、それらを論理法則、経験法則に従って正しく評価するべき本来の事実認定の方法論とは相容れない」と批判した。裁判所が、過去の裁判所の判断に対し、ここまで踏み込んだ言及をするのはきわめて珍しい。

[江川紹子 2017年1月19日]

『渡辺倍夫著『徳島ラジオ商殺し事件――真実を求めて三十年』(1983・木馬書館)』『秋山賢三著『裁判官はなぜ誤るのか』(岩波新書)』

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