志布比神社
しふひじんじや
浜詰集落の北側にある魚見山の西麓、夕日の海端に鎮座。もと御来屋神社と称したが明治三九年(一九〇六)改称。神社明細帳(「竹野郡誌」所引)によれば、祭神は櫛八玉比女命・塩椎神。境内社として愛宕・稲荷・金比羅・今宮・蛭子神社などがある。旧村社。
社伝によれば、垂仁天皇の代、新羅国皇子天日槍が来朝した折、船を導いた塩土翁の神を但馬国出石郡(現兵庫県)に祀ったが、社地が人家でけがれたので来朝の折着船した当地志布比浜に移し祀ったという。その後併祭された御来屋神社の祭神は櫛八玉比女命という(竹野郡誌)。
「丹後旧事記」は「志布比神社 塩江村 祭神若宮売大明神・豊宇賀能
命 合神御久里屋大明神」とし、「神伝曰く、合神はむかし出雲国日の岬より流来て此所の里人らいし祭る。
志布比神社
しふひじんじや
「延喜式」神名帳にみえる竹野郡志布比神社に比定される。祭神は志夫美宿禰命とも塩干大明神ともいわれ、勅命によって丹後の三鬼を退治した麻呂子親王を助けてその戦いに従った弟の塩干親王を祀ったと伝える。旧村社。
この神社には次のような伝承がある。
大昔この付近の村々はみな高い山中にあり、竹野川の流域は海の底であったという。その頃大山(志布比神社の裏山)に神様がいて、海水を飲み干し田圃をつくろうと考え、一口飲むと中郡の、二口目に現弥栄町の、三口目に現丹後町の田圃が開かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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