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怡土城 いとじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

怡土城
いとじょう

福岡県糸島市高祖(たかす)にあった奈良時代の山城。対新羅政策の必要から,天平勝宝8(756)年6月起工,神護景雲2(768)年2月完成。築城工事を監督したのは大宰大弐吉備真備,同佐伯今毛人らであるという。

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デジタル大辞泉の解説

いと‐じょう〔‐ジヤウ〕【怡土城】

福岡県糸島市にあった城。新羅(しらぎ)に対する防備のために神護慶雲2年(768)に完成。伊都氏のいたという高祖山の西斜面に築かれ、大宰府を守護。城門の礎石などが残る。

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百科事典マイペディアの解説

怡土城【いとじょう】

福岡県前原市(現・糸島市)にあった山城。新羅出兵計画など大陸との緊迫した状況下で,756年―768年に築かれた。土塁,城門,水門などの遺構,瓦(かわら),【せん】,土器などの遺物が発見されている。
→関連項目糸島[市]山城前原[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

いとじょう【怡土城】

奈良時代に現福岡県糸島郡前原町の高祖山に築かれた山城。唐の安禄山の乱が伝えられ,新羅の征討が計画される緊迫した状況の中で756年(天平勝宝8)に兵法家としても知られる大宰大弐吉備真備(きびのまきび)を専当として起工された。763年(天平宝字7)にほぼ成り,765年(天平神護1)には大弐佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を築怡土城専知官とし,768年(神護景雲2)に完成した。山頂から山麓にかけての西斜面に方15町(約1.6km),面積約284haという広大な城域を占め,現在までに4ヵ所の望楼跡をはじめ,土塁,城門,水門,礎石建物などの遺構が知られているが,構造的には朝鮮式山城である大野城基肄(きい)城とは異なり,大陸式山城とされる。

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大辞林 第三版の解説

いとじょう【怡土城】

福岡県前原市の高祖山にあった山城。768年完成。新羅しらぎとの関係悪化から築かれ、大宰府の守りとされた。土塁・礎石などが残る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

怡土城
いとじょう

福岡県糸島(いとしま)市高祖(たかす)山(標高416メートル)にある奈良時代の山城(やまじろ)遺跡。日本と新羅(しらぎ)の関係悪化に伴い、756年(天平勝宝8)大宰大弍(だざいのだいに)吉備真備(きびのまきび)の建議により築城を開始。759年(天平宝字3)藤原仲麻呂(なかまろ)政権下で立案された新羅征討計画において、新羅侵攻の前進基地の役割を与えられ、763年にいちおうの完成をみた。その後も新羅との緊張関係に備える防衛拠点として専知官佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を中心に工事が継続され、768年(神護景雲2)に完成した。1937年(昭和12)に行われた調査によると、城は高祖山の西斜面に広がる扇形の地形を利用して築城されており、敵襲を受けても容易に城内を見通せる構造であることから攻撃的性格の強い城といわれている。山頂から糸島半島を望む北側稜線(りょうせん)には5か所の望楼跡、また南北を結ぶ斜面前方には土塁が築かれ、その途中には城門、水門などが設置されている。そのほか数棟の礎石建物跡も確認されている。38年国の史跡に指定された。[酒寄雅志]
『日本古代文化研究所編「怡土城阯の調査」(『日本古代文化研究所報告 6』所収・1974・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の怡土城の言及

【山城】より

…神籠石の構築年代については,6世紀の筑紫君磐井(いわい)の乱を契機とする説から,7世紀後半説まである。8世紀の吉備真備(きびのまきび)築城による怡土(いと)城は,九州型神籠石に縄張は似るが,稜線に多数の楼閣を設けた中国式のものであった。 山頂に郭を構えた山城は,すでに11世紀に始まる東北地方の争乱にみられる。…

【城】より

…また,居住施設としての比重の高い(たて)や環濠集落,あるいは城壁で囲まれた都市を含める場合もあるが,その場合は城郭や城館という語を用いた方がよい。【村田 修三】
【古代】
 古代の城柵は7世紀中ごろの天智朝以前の神籠石(こうごいし)と,天智朝に唐や新羅に対する防備のため対馬の金田城,讃岐の屋島城をふくむ九州から大和にまで築いた城,8世紀の怡土(いと)城などの西国の防御的な山城(さんじよう∥やまじろ)と,8,9世紀に東北経営の拠点として築いた平城(ひらじろ)または平山城(ひらやまじろ)に分けることができる。 天智朝の百済人の指導による築城は,実戦的に防御正面に急峻な地形を選び,その背後に山稜がめぐる谷をとりいれた楕円形の平面をもち,山稜を石垣や土塁でつないでその間に数ヵ所の城門を配している。…

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