ミッドウェー海戦(読み)ミッドウェーカイセン(英語表記)Battle of Midway

デジタル大辞泉 「ミッドウェー海戦」の意味・読み・例文・類語

ミッドウェー‐かいせん【ミッドウェー海戦】

太平洋戦争中の昭和17年(1942)6月5日から7日にかけて、ハワイ諸島北西にあるミッドウェー沖で日米両海軍の機動部隊が繰り広げた大規模な戦闘日本軍の連合艦隊は空母4隻をすべて失う大敗を喫し、作戦主導権を米国に奪われた。
豊田穣による戦記文学作品。昭和26年(1951)刊行同年、第1回岐阜県芸術文化顕彰を受賞

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共同通信ニュース用語解説 「ミッドウェー海戦」の解説

ミッドウェー海戦

ハワイの北西約2千キロにあるミッドウェー島の米飛行場攻略を目指した旧日本海軍は1942年6月、周辺海域で米軍に大敗した。3千人以上が戦死し、「赤城」「加賀」などの主力空母4隻、航空機約300機を失った。以降、太平洋戦争の主導権は米側に移り、転換点となったと言われる。2019年に米調査チームが水深5千メートル超に沈む赤城と加賀を見つけた。

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精選版 日本国語大辞典 「ミッドウェー海戦」の意味・読み・例文・類語

ミッドウェー‐かいせん【ミッドウェー海戦】

  1. ( ミッドウェーはMidway ) 昭和一七年(一九四二)六月五~七日、ミッドウェー島沖で行なわれた日本とアメリカとの海戦。日本の連合艦隊は急降下爆撃機の急襲をうけ、多数搭乗員を失い、また最精鋭空母四隻に加え、多く飛行機を損失した。この結果、海上作戦の主導権を奪われ、以後太平洋戦争の戦局は日本の敗勢へと転回した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミッドウェー海戦」の意味・わかりやすい解説

ミッドウェー海戦
ミッドウェーかいせん
Battle of Midway

太平洋戦争中の 1942年6月3~5日,日本海軍によるミッドウェー諸島攻略作戦およびアメリカ海軍機動部隊反撃作戦に基づいて戦われた海戦。日本の大敗北となり,以後戦局の主導権がアメリカ合衆国に移るという太平洋戦争の重大な転換点となった。日本は,この作戦立案途上の 4月に,ドゥーリトル隊による東京初空襲(→ドゥーリトル空襲)を受けたことから,索敵海面の拡大とアメリカ艦隊に対する決戦強要によって,アメリカ艦隊の撃滅を早期に実現することを戦略目的とした。日本艦隊は山本五十六長官直率の戦艦『大和』(→大和型戦艦)以下連合艦隊で,主戦兵力南雲忠一長官の率いる第1航空艦隊の航空母艦(空母)4隻,迎え撃つアメリカ艦隊の主力は空母 3隻を基幹とする兵力とミッドウェーを基地とする航空部隊で,直接戦闘を交えた航空兵力はほぼ均勢であった。日本艦隊の索敵は錯誤のため,アメリカ空母部隊の発見が遅れ,ミッドウェー基地航空機と空母の雷撃隊には多大な損害を与えたが,アメリカの急降下爆撃機によって空母 4隻が損傷し,南雲部隊の航空戦力は壊滅,空母の『赤城』『蒼竜』『加賀』『飛竜』などと,兵員 3500人,航空機 300機を失うという惨敗となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ミッドウェー海戦」の意味・わかりやすい解説

ミッドウェー海戦 (ミッドウェーかいせん)

太平洋戦争初期の1942年6月5日~7日,中部太平洋ミッドウェー島周辺海域で行われた日米両国機動部隊による海戦。連合艦隊司令長官山本五十六大将は,ミッドウェー島を攻略することにより,アメリカ空母を誘出して捕捉撃滅する機会を作るとともに,同島を哨戒基地として東方から日本本土に対する攻撃を防衛しようと企図し,連合艦隊の大部分を率い,ミッドウェー島に向かった。日本機動部隊(南雲忠一中将指揮,空母4隻基幹)は6月5日早朝ミッドウェー島の北西海面から陸上基地を攻撃し,これに再攻撃を準備中,東方にアメリカ機動部隊(スプルーアンス少将指揮,空母3隻基幹)を発見した。このため攻撃目標をこれに変更し攻撃準備を実施中,アメリカ空母機の攻撃をうけ,瞬時にして空母3隻を失った。残る空母1隻でアメリカ機動部隊を攻撃したが,後刻同空母も沈没,機動部隊は全滅し,全航空兵力を失い,連合艦隊の企図は挫折し敗退した。この海戦の参加兵力は,日本側艦艇47隻(うち空母4隻),飛行機(空母搭載機)285機,アメリカ側艦艇35隻(うち空母3隻),飛行機233機であり,損害は日本側が空母4隻,重巡1隻沈没,空母搭載飛行機全部と多数の搭乗員を失い,アメリカ側は空母1隻沈没のほか損害は軽微であった。この海戦以後戦争の流れは変わり,主導権はアメリカ側に移った。この海戦において,アメリカ海軍は日本海軍暗号を解読し,日本軍の作戦計画を完全に知っていたこと,日本海軍の緒戦の勝利に酔った気のゆるみ,機密保持の不良が勝敗の分れ目となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミッドウェー海戦」の意味・わかりやすい解説

ミッドウェー海戦
みっどうぇーかいせん

太平洋戦争中、日米両機動部隊の間で戦われた海戦。1942年(昭和17)4月の米機動部隊による本土空襲に衝撃を受けた日本海軍は、防衛ラインの拡張と米機動部隊への決戦の強要とを目的としてミッドウェー島攻略戦を決定し、連合艦隊の総力をあげて同島周辺海域に出撃、6月5日には同島への空爆を実施した。しかし索敵活動を軽視したため反撃に出た米機動部隊の発見が遅れ、攻撃部隊の発進準備中に米急降下爆撃機の急襲を受けて大損害を被った。この海戦で日本側は赤城(あかぎ)、加賀、蒼龍(そうりゅう)、飛龍の四主力空母と重巡一隻が沈没し航空機約300機と多数の熟練パイロットを失ったのに対し、米軍の損害は空母一隻沈没、航空機150機喪失にとどまり、その結果、制空・制海権の確保に支えられた緒戦における日本軍の優位は崩壊し、以後太平洋戦争は連合軍の反攻という新しい局面に突入する。

[吉田 裕]

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百科事典マイペディア 「ミッドウェー海戦」の意味・わかりやすい解説

ミッドウェー海戦【ミッドウェーかいせん】

1942年6月5〜7日,中部太平洋ミッドウェー島攻略に向かった日本海軍機動部隊と,その企図を察知して待ち受けた米国海軍機動部隊との海空戦。日本艦隊は航空母艦4隻,兵員3500,飛行機200余機(全機)を失い,致命的な打撃を受けた。これを機に太平洋戦線の作戦主導権は米国に移り,その後の太平洋戦争の勝敗を決する意義をもった。
→関連項目山本五十六

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ミッドウェー海戦」の解説

ミッドウェー海戦
ミッドウェーかいせん

太平洋戦争中,日本のミッドウェー攻略作戦にともないおこった海空戦。山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官は1942年(昭和17)6月ミッドウェーを攻略し,反撃のため出現が予期されるアメリカ空母群を撃滅しようとして,ほぼ全力をあげて出撃。暗号解読により日本の企図を知ったハワイのニミッツ大将は,空母3隻を急速出撃させてミッドウェーの北東海面で待ち伏せした。日本の空母4隻は5日朝,第1次攻撃隊で同島を空襲し,第2次攻撃隊も同島に向けようとしたときはじめて敵空母を発見,これを攻撃しようと兵装転換中,急降下爆撃の奇襲をうけ,3隻が被弾炎上,残る1隻も敵空母を攻撃後,同日中に被弾炎上して全滅。米海軍はこれで攻守をかえた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ミッドウェー海戦」の解説

ミッドウェー海戦
ミッドウェーかいせん

太平洋戦争中の1942年6月,日本海軍がアメリカ軍と交戦し大損害をうけた海戦
珊瑚 (さんご) 海海戦(1942)後,日本海軍はアメリカ艦隊に決戦をいどみ,ミッドウェー島に迫ったが,日本の連合艦隊の主力は壊滅的打撃をうけた。これ以後,日本軍は太平洋での制海権・制空権を失い,劣勢に転じ,太平洋戦争の戦局は大きく転換した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミッドウェー海戦」の解説

ミッドウェー海戦
ミッドウェーかいせん
Midway

太平洋戦争中の1942年6月,日本連合艦隊が中部太平洋のミッドウェー島沖でアメリカ艦隊と交戦し,大敗北を喫した海戦
この海戦で日本は主力の航空母艦と多数の航空機とを失い,太平洋における制海・制空権を喪失,太平洋戦争敗北の転機となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミッドウェー海戦」の解説

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん)
Midway

1942年6月初旬,日本連合艦隊は艦艇・航空機多数を動員して中部太平洋のミッドウェー攻略作戦を進めたが,同島沖の海戦でアメリカ海軍に大敗北を喫し,海洋の主導権を失うきっかけをつくった。

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世界大百科事典(旧版)内のミッドウェー海戦の言及

【太平洋戦争】より

…そして42年1月2日マニラ(フィリピン進攻作戦),2月15日シンガポール(マレー進攻作戦),3月8日ラングーンを占領し,3月9日ジャワ島のオランダ軍を降伏させるなど,日本軍は開戦後約半年のあいだに東はギルバート諸島とソロモン諸島から西はビルマに至る広大な地域を占領した。一方,連合艦隊は5月7~8日の珊瑚海海戦では優勢勝ちを収めたが,6月5日のミッドウェー海戦で4隻の主力空母を撃沈され,太平洋正面の制海権と制空権を失った。(2)1942年8月~43年2月(連合国軍の反撃と日本軍の戦略的持久の時期) 8月7日連合国軍がガダルカナル島へ上陸し,以後約半年にわたり同島を含むソロモン諸島周辺で陸海空の大消耗戦が展開された(ガダルカナル作戦,第1~3次ソロモン海海戦,南太平洋海戦など)。…

※「ミッドウェー海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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