愛川(読み)あいかわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「愛川」の意味・わかりやすい解説

愛川(町)
あいかわ

神奈川県中北部、愛甲郡(あいこうぐん)にある町。1940年(昭和15)町制施行。1955年(昭和30)高峰(たかみね)村と合併、1956年中津村を編入。国道412号、圏央道が通り、隣接する相模原市に相模原愛川インターチェンジがある。小田急電鉄本厚木(ほんあつぎ)駅などからバスが通じる。古来、相模川流域の相模平野から、また中世には、鎌倉、小田原から甲州(こうしゅう)(山梨県)東部へ通じる交通の要地で、北東の三増(みませ)は中世からの宿場として知られ、諏訪(すわ)神社の獅子(しし)舞は、日本における一人立ち三頭獅子舞の南限を示すもので、県指定無形民俗文化財。また南の中津川の西にある八菅山(はすげさん)は、中・近世には伊勢原(いせはら)の大山(おおやま)(石尊権現(せきそんごんげん))、日向(ひなた)山(日向薬師)と並ぶ山岳修験(しゅげん)(聖護院(しょうごいん)流)の道場(別当光勝寺)のあった所で、参道には「丁石(ちょういし)」が残される。江戸時代後期からは、北西の半原(はんばら)を中心として絹撚糸(ねんし)業が盛んとなり、いまも撚糸、縫い糸の特産で知られる。糸とり唄の「管巻唄(くだまきうた)」がよく歌われる。南東の厚木市にまたがる中津工業団地(県内陸工業団地)は、第二次世界大戦中につくられた軍用飛行場跡を利用したもので、金属製品、機械などの近代工業が集まり、付近は住宅地化が目だつ。八菅山、三増峠のほか、西部仏果(ぶっか)山、経(きょう)ヶ岳など町を巡る山稜(さんりょう)はナラクヌギアカマツなどの自然林に覆われ、稜線は展望が開け、よいハイキングコースである。また、中津川上流中津渓谷は峡谷美で知られ、釣りやキャンプの好適地でもあり、2000年には宮ヶ瀬ダムが完成、県立あいかわ公園もつくられている。面積34.28平方キロメートル、人口3万9869(2020)。

[浅香幸雄]

『『愛川町郷土誌』全2巻(1979、1982・愛川町)』『『あいかわの地名』全4巻(1985~1992・愛川町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「愛川」の意味・わかりやすい解説

愛川[町] (あいかわ)

神奈川県北部,愛甲郡の町。人口4万2089(2010)。丹沢山地東麓を占め,相模川の支流中津川が貫流する。町名は相模川の古名,鮎河にちなむ。江戸時代後期から養蚕が盛んになり,半原を中心に絹の撚糸(ねんし)業が発達し,八王子,青梅など関東山地東麓の絹織物産地に撚糸を出荷していた。最盛期の1935年ころには全国生産高の80%を生産したが,第2次世界大戦後は絹糸から合化繊糸への転換が進み,ミシン糸,女性用下着などの生産が多くなった。66年には,厚木市との境にある中津原の旧飛行場跡地に機械工業を中心とする工業団地が造成された。近年,人口も増加している。中津川上流の中津渓谷は紅葉の美しさで知られていたが,74年着工の宮ヶ瀬ダムの完成により,景観は一変し,観光地化が進んでいる。
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百科事典マイペディア 「愛川」の意味・わかりやすい解説

愛川[町]【あいかわ】

神奈川県北部,丹沢山地東麓の愛甲郡の町。養蚕地帯で,中津川中流部にある中心市街は古くから絹撚糸の産で知られていた。現在も繊維工業が盛ん。工業団地があり,企業が進出している。上流に紅葉の名所中津渓谷がある。宮ヶ瀬ダムが2000年完成。34.28km2。4万2089人(2010)。

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