慈雲(読み)ジウン

デジタル大辞泉 「慈雲」の意味・読み・例文・類語

じうん【慈雲】

[1718~1805]江戸中期の真言宗の僧。大坂の人。いみな飲光おんこうの各教を学修し、特に梵学にすぐれた。また、神道を研究し、雲伝神道創唱。著「十善法語」「梵学津梁」など。慈雲尊者

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「慈雲」の意味・読み・例文・類語

じうん【慈雲】

[一] 鎌倉・南北朝時代の臨済宗の僧。諱(いみな)は妙意。勅号は清泉禅師。勅諡は慧日聖光国師。国泰寺派始祖信濃の人。一二歳のとき、五智山で出家し、越中に東松寺を創建して教化につとめ、後醍醐天皇から国泰寺の号を授けられ、勅願所となった。文永一一~貞和元年(一二七四‐一三四五
[二] 江戸中期の真言宗の僧。諱は飲光(おんこう)。慈雲尊者、慈雲律師、葛城尊者などと尊称正法律開祖。大坂の人。内外の諸学に通じ、「梵学津梁」千巻のほか、「十善法語」「南海寄帰伝解䌫鈔」などを著わす。享保三~文化元年(一七一八‐一八〇四

じ‐うん【慈雲】

〘名〙 (雲にたとえていったもの) 仏のいつくしみ。慈愛
経国集(827)一〇・讚仏称徳天皇〉「慧日照千界、慈雲覆万生

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「慈雲」の意味・わかりやすい解説

慈雲 (じうん)
生没年:1718-1804(享保3-文化1)

江戸後期の真言宗の僧。諱(いみな)は飲光(おんこう),百不知童子,葛城山人などと号し,世人から慈雲尊者と敬われる。俗姓上月氏。大坂に生まれ,12歳で河内国法楽寺貞紀について出家。15歳で密教,悉曇(しつたん)を学び,18歳で京都に上って経史詩文を習い,ついで奈良で顕密の学を修めた。このとき戒律に関心を寄せた。のち信濃に遊び,禅をも学ぶ。1744年(延享1)河内国長栄寺に住してはじめて戒律を講じ,鑑真以来一定していなかった授戒の作法に規律を定めて正法律(しようぼうりつ)と称した。のち摂津国有馬桂林寺に転じたが,この間もさかんに正法律を提唱し,講演著述に専念した。生駒山双竜庵に隠棲してからも梵学を研鑽,《般若心経》《阿弥陀経》などの梵文を読み,その義解を講説した。梵学の研究成果はのち《梵学津梁(ぼんがくしんりよう)》約1000巻となったが,独力でこれをなしたことは驚異である。54歳で京都阿弥陀寺に住して十善の法を説き,《十善法語》12巻に筆録された。97年(寛政9)河内国高貴寺に移り,戒壇を築いて正法律一派の本山とした。87歳で京都阿弥陀寺に没した。授戒説法の余暇は著述につとめ,著書は上記のほか《方服図儀広本》10巻,《方服図儀略本》2巻,《七九鈔》5巻,《南海寄帰内法伝解纜鈔》8巻などがある。また神道に関する所説があり,彼が唱えた神道は〈雲伝神道〉といわれている。慈雲所伝の神道という意味で,居所にちなんで〈葛城神道〉とも呼ばれる。同時代の本居宣長の復古神道に対して,密教を背景とした仏家神道の特色がある。書をよくし,梵字の筆路を加味した蒼古勁健の筆致は近世書道史上の異色である。肖像画によれば,広い額に豊かな下あご,眉と鬚(ひげ)はあくまで白く,威容厳然たるなかにも温和な人柄が感じられる。1922年から26年にかけて《慈雲尊者全集》18巻が刊行された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「慈雲」の解説

慈雲

没年:文化1.12.22(1805.1.22)
生年:享保3.7.28(1718.8.24)
江戸中・後期の真言宗の僧。戒律復興,梵(サンスクリット)学研究,民衆教化に偉大な足跡を残した近世真言宗の巨人。諱は飲光。大坂出身。父上月安範は侠客的人物,母阿清は高松藩士の養女。母の勧めにより13歳で出家,14歳から密教を修学。さらに儒学を学ぶ。19歳,河内野中寺で梵文原典の研究に着手。インド渡航の大志も抱く。20~24歳にかけて密教諸流を相承。このころ,諸師や母の感化により戒律を重視し,宗派,学問の偏重を排する姿勢を固めた。延享1(1744)年27歳のとき,河内長栄寺にブッダ在世時の正しい戒律,「正法律」の実践運動を開始。寛延2(1749)年そのための「根本僧制」を定めた。以後,各地に巡錫し教化につとめる。宝暦8(1758)年41歳の時,生駒山中の双竜庵に隠棲。禅観(瞑想)を修しつつ梵学研究に邁進し,独力で文法を理解して10余年をかけ1000巻の大著『梵学津梁』を完成。ヨーロッパのビュルヌフらに半世紀先行する偉業を成し遂げた。その後,京都阿弥陀寺に移り戒律の基本,十善戒法を説く。天明6(1786)年69歳,幕府の許可を得て葛城山の高貴寺を正法律の根本道場とした。晩年,古代諸神の活動を曼荼羅の展開と同趣意とする雲伝(葛城)神道を提唱。慈雲の生涯は根本仏教への回帰に貫かれ,梵学研究も戒律復興もその一環であった。母親の影が常に濃いことも関心を引く。『慈雲全集』(19巻)がある。仮名法語『人となる道』など民衆教化の著作も注目される。弟子に親証,覚法,護明など。<参考文献>木南卓一『慈雲尊者―生涯とその言葉―』

(正木晃)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「慈雲」の意味・わかりやすい解説

慈雲【じうん】

江戸中期の真言宗の学僧。大坂の人。俗姓は上月(かみつき)氏,名は飲光(おんこう),慈雲は字。釈迦在世時代の法を興さんとして正法律(しょうぼうりつ)を創始。密教,悉曇(しったん)を学び《梵学津梁(ぼんがくしんりょう)》1000巻を著す。神道を研究し雲伝神道(うんでんしんとう)を開創,《十善法語》《人となる道》など庶民教育用の法語を書いた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

367日誕生日大事典 「慈雲」の解説

慈雲 (じうん)

生年月日:1718年7月28日
江戸時代中期;後期の真言宗の僧
1805年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「慈雲」の意味・わかりやすい解説

慈雲
じうん

飲光

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慈雲」の意味・わかりやすい解説

慈雲
じうん

飲光」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の慈雲の言及

【十善】より

…すなわち,身体において殺生(せつしよう)(殺すこと),偸盗(ちゆうとう)(盗むこと),邪淫(じやいん)(男女の交わりのよこしまなこと),言葉においては妄語(もうご)(うそをつくこと),両舌(りようぜつ)(仲たがいさせることばをいうこと),悪口(あつく)(わるくちをいうこと),綺語(きご)(でたらめをいうこと),意においては貪欲(とんよく)(むさぼること),瞋恚(しんい)(怒ること),邪見(じやけん)(誤った考え方をすること)の,それぞれをなさないことである。この十善をきびしく守ることを十善戒といい,江戸時代後期の慈雲が広く説いた。国王,天皇,またはその位を十善というのは,前世で十善を行った功徳によってその位についたと考えられたからである。…

※「慈雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」