成福寺(読み)じようふくじ

日本歴史地名大系 「成福寺」の解説

成福寺
じようふくじ

[現在地名]斑鳩町法隆寺南三丁目

富雄とみお川右岸の上宮かみやにある。聖徳宗、本尊は木造聖徳太子立像(孝養像、国指定重要文化財)。「聖徳太子伝私記」に「当上宮王院辰巳方八九町分斉木瓦葺之堂、名幸屋、昔太子居住宮、名葦垣、於此宮御入滅也」、「斑鳩古事便覧」に「芦宮、俗云神屋寺、号成福寺、一本尊太子十六歳尊像、此所太子与妃偕老同穴而薨給所也、社頭推古天皇也、(中略)太子御時代方至石于今在、青苔封、文字滅而不見」とあり、聖徳太子の葦垣あしがき宮の旧跡と伝えている。葦垣宮は天平一九年(七四七)の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(文化庁所蔵)に「天皇召田村皇子、以遣飽波葦墻宮、令問厩戸皇子之病」とあり、「続日本紀」神護景雲元年(七六七)四月条の称徳天皇飽波あくなみ宮行幸の記事にみえる飽波宮も葦垣宮とする説がある。


成福寺
じようふくじ

[現在地名]福井市波寄町

仏国山と号する。真宗大谷派であったが、現在は単立。本尊阿弥陀如来。寺伝は開祖興行こうぎよう(現福井県上志比村)の開祖周覚とし、古くは大谷おおたに村にあって西にしの坊と称したというから、興行寺掛所として創建されたものか。永禄年間(一五五八―七〇)六代乗誓の時、坂南さかみなみ藤瀬ふじせ村に寺基を移したといい、天正一九年(一五九一)の本覚寺末寺帳(本願寺文書)に「フジセノ乗西」とあるのが当寺で、その頃は和田本覚わだほんがく寺末の道場であったという。


成福寺
じようふくじ

[現在地名]鎌倉市小袋谷二丁目

横須賀線線路の近く八反目はつたんめにある。浄土真宗本願寺派。亀甲山法得院と号する。開山成仏、本尊阿弥陀如来。寺伝によると貞永元年(一二三二)の創建。縁起「末代鏡」によれば開山成仏は北条泰時の末男泰次で、初め天台僧、のち親鸞に帰依して浄土真宗に改めたといい、「風土記稿」によれば九世宗全の時、小田原北条氏の迫害を避けて伊豆国北条ほうじよう(現静岡県田方郡韮山町)に移り、慶長一七年(一六一二)一一世西休の時に復したという。


成福寺
じようふくじ

[現在地名]都祁村大字吐山小字ミロク

吐山はやま西方立割たてわり(六九七メートル)の南中腹にあり、金平山と称する真言宗豊山派の寺院であったが、現在は堂のみ残り無住。本尊薬師如来は平安後期の作。寺伝によると、旧地の小字金平かねひらに聖徳太子が倶盧孫くろそん坊という一寺を建立したことに始まり、応仁(一四六七―六九)頃の兵火で焼失、のち現在地に堂宇を建立し、旧寺名を用いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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