戦時または事変に際して、平時の法を停止し、行政権・司法権の全部または一部を軍隊の司令官にゆだねること。いわゆる国家緊急権の制度のなかでもっとも代表的なものである。歴史的には、1849年にフランスで制定された戒厳法(または合囲状態法)Loi sur l'état de siègeが有名で、戒厳発令下において、集会・出版の禁止、家屋立入り、強制退去の権限などを軍事官憲にゆだねた。ドイツでも、1851年にプロイセンで制定された戒厳法Gesetz über den Belagerungszustandは、人身の自由、住居の不可侵などの基本的人権を戒厳によって停止しうるものと規定した。イギリスやアメリカでは、伝統的に戒厳に関する成文法は存在しないが、不文のマーシャル・ローmartial lawによって戦時・非常事態に際して国民の人権の一部を制限することが認められてきた。
日本では、明治憲法(大日本帝国憲法)第14条が「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス、戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以(もっ)テ之(これ)ヲ定ム」と規定していた。もっとも、憲法に先だってすでに1882年(明治15)に戒厳令(同年太政官(だじょうかん)布告第36号)が制定されており、これが憲法発布後も法律と同様の効力をもって第二次世界大戦後まで効力をもった(1947年政令52号で廃止)。これによれば、戒厳は、まず臨戦地境と合囲地境の2種類に分けられる(2条)。臨戦地境とは、合囲地境とするに至らない程度の戒厳をいい、合囲地境とは、敵の合囲(包囲)もしくは攻撃を受けるような切迫した事態にある地域について発せられる戒厳をいう。また、通常戒厳と臨時戒厳という区別もなされている。前者は天皇が戒厳を宣告する場合をいい、後者は軍司令官が宣告する場合をいう。ところで、臨戦地境の戒厳が発せられた地域内においては、地方行政事務、司法事務のうち、軍事に関係のある事件に限り軍司令官の管掌にゆだねられるが、さらに集会・新聞雑誌等の停止、民有諸物品の調査・輸出禁止、銃砲弾薬等危険物の検査押収、郵便物の開封、交通の停止、民有動産不動産の破壊などの権限も同様に軍司令官にゆだねられる。また、合囲地境の戒厳が発せられた地域内では、以上に加えてなお家屋建造物等への立入検察、合囲地境内からの退去命令などの権限、および地方行政事務ならびに司法事務のすべてが軍司令官の管掌するところとされ、さらには軍事に係る民事事件および国事に関する罪など各種の刑事事件が軍法会議による裁判に付される(この裁判については、控訴・上告は認められない)。戒厳令が実際に宣告された事例としては、日清(にっしん)戦争(1894~1895)のときの広島および宇品(うじな)、日露戦争(1904~1905)のときの長崎、佐世保(させぼ)、函館(はこだて)、台湾、対馬(つしま)などがあるが、いずれも臨戦地境であり、合囲地境が宣告されたことは、第二次世界大戦末期の沖縄を含めて、一度もなかった。
なお、戒厳としては、以上のほかに、いわゆる行政戒厳が敷かれることがあった。これは、戦時または事変ではないにもかかわらず、国内における暴動、クーデターなどの非常事態が発生した場合に、明治憲法第8条に基づく緊急勅令を制定し、それによって戒厳令の規定の全部または一部を一定地域に適用する制度である。1905年(明治38)の日露戦争講和条約締結時における日比谷焼打事件、1923年(大正12)の関東大震災、1936年(昭和11)の二・二六事件などで行政戒厳が敷かれて、軍隊が出動した。
日本国憲法施行後は、憲法典に戒厳に関する規定が存在していないことはもちろん、法律上もそのような制度は存在していない。一般に戒厳法の制定は日本国憲法に違反すると考えられているが、ただ、防衛省・自衛隊の内部では創設当時から戒厳に関する研究はなされてきている。たとえば、防衛庁時代の1963年(昭和38)のいわゆる三矢(みつや)研究でも、「非常事態措置諸法令の研究」の一環として戒厳の検討がなされていた。
[山内敏弘]
『大江志乃夫著『戒厳令』(1978・岩波新書)』▽『北博昭著『戒厳――その歴史とシステム』(2010・朝日選書)』
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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