埼玉県南東部の市。1966年市制。人口12万3079(2010)。荒川左岸の低地にあり,荒川を隔てて東京都に接する。江戸時代は中山道の戸田の渡しと河岸場のあった所で,今は国道17号線(中山道)の戸田橋と同新大宮バイパスの笹目橋が東京への玄関口にあたり,自動車の通過交通量が多い。1992年には東京外環自動車道が開通,首都高速5号線と連絡する美女木(びじょぎ)ジャンクションも設けられ,一層交通は便利になった。長い間,鉄道が通っていないうえ,標高2~5mの低湿地であるため,東京都心から20km圏に位置するにもかかわらず都市的発展は遅れていたが,1960年代以降,住宅や工場・倉庫群が進出し,県内有数の工業都市となった。85年のJR埼京線の開通によって新宿へ20分で行ける交通至便な街に変身,中高層マンションが増え,郊外住宅都市として発展し,都内への通勤者は県内への通勤者の2倍をこえている。荒川の旧河道を利用して1940年につくられた戸田ボートコース(長さ2400m)は東京オリンピックの会場ともなった理想的な静水コースで,付近一帯は県営戸田公園として整備されている。西部の荒川河川敷には荒川左岸流域下水道終末処理場があり,戸田,浦和,川口,大宮など県南8市の汚水を浄化する。1989年には道満(どうまん)グリーンパーク(現,彩湖・道満グリーンパーク)が,97年には荒川総合調整池(彩湖)もつくられた。
執筆者:新井 寿郎
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静岡県田方郡(たがたぐん)にあった旧村名(戸田村(むら))。現在は沼津市南端を占める地域。旧戸田村は2005年(平成17)沼津市に編入。伊豆半島西海岸の北部に位置する。東・南・北の三方を達磨(だるま)山系に囲まれ、西は戸田港として駿河(するが)湾に開かれている。天然の良港を擁してマグロ、カツオの遠洋漁業、アジ、サバなどの巻網漁業が盛ん。タカアシガニ漁はよく知られている。ミカン栽培も行われる。観光開発に力を入れ、国民宿舎伊豆戸田荘(2006年閉館)があるほか民宿が多く、御浜岬には海水浴場がある。1854年(安政1)の大地震でロシア使節プチャーチンを乗せて戸田沖で沈没したディアナ号の記念碑(県史跡)がある。プチャーチンは自国軍艦の代艦を戸田港で新造し、これが日本に洋式造船技術をもたらす端緒となった。そのときの記録や技術資料を展示した造船郷土資料博物館がある。古くから陸の孤島で、交通は船に頼っていたが、現在、主要地方道沼津土肥(とい)線、修善寺(しゅぜんじ)戸田線が通じる。
[川崎文昭]
埼玉県南東部にある市。1966年(昭和41)市制施行。市の南部は荒川を挟んで東京都と相対する。荒川の沖積低地に位置し、自然堤防と後背湿地とからなる。長い間鉄道は通っていなかったが、1985年(昭和60)JR埼京線が通り、東部を国道17号、西部を新大宮バイパスが通る。1992年(平成4)東京外環自動車道、1998年首都高速埼玉5号線が開通、美女木ジャンクションで接続している。江戸時代、中山道(なかせんどう)の戸田の渡しのあった所。近年、出版、印刷、機械などの工場や倉庫が増加し、また住宅の進出も著しく、人口が急増している。荒川北岸の県営戸田公園内には静水のボートコースがある。1940年(昭和15)に完成したもので、1964年の第18回オリンピック東京大会のボート競技場になった。面積18.19平方キロメートル、人口14万0899(2020)。
[中山正民]
『『戸田市史』全8巻(1981~1987・戸田市)』▽『『戸田市史年表』(1991・戸田市)』
「梁塵秘抄」に「広田より戸田へ渡る船もがな、浜のみたけへ言付もせむ」とみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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