手鑑(読み)テカガミ

デジタル大辞泉 「手鑑」の意味・読み・例文・類語

て‐かがみ【手鑑】

代表的な古筆切こひつぎれやその写しを集めてじょうに仕立てたもの。もと古筆の鑑定用として作られた。古筆手鑑
手本。模範。

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精選版 日本国語大辞典 「手鑑」の意味・読み・例文・類語

て‐かがみ【手鑑】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 代表的な古人筆跡を集めて帖としたもの。もと古筆鑑定のために作られたが、後には愛好家が能筆家の筆跡や写経などを集めて作るようにもなった。〔日葡辞書(1603‐04)〕
    1. [初出の実例]「了佐極(きはめ)の手鑑(テカカミ)定家歌切」(出典浮世草子好色一代男(1682)六)
  3. 手本。規範。
    1. [初出の実例]「刀のすんちがいしとふしんの時、〈略〉手かがみにあふた刀は近江に有とだんだんに云」(出典:評判記・役者胎内捜(1709)坂東彦三郎)

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改訂新版 世界大百科事典 「手鑑」の意味・わかりやすい解説

手鑑 (てかがみ)

名筆の鑑賞や筆者の鑑定のために,経巻や和歌,漢詩書,消息などの巻子本や冊子本からその一部を切り取って蒐集し,帖に編集したもの。古筆鑑賞が隆盛した桃山時代から江戸時代を通じて作成され,天皇から庶民に至るまでおおいに流行した。室町以前の古筆をまとめて編集したものをとくに古筆手鑑といい,慶長期(1596-1615)以後の筆蹟を集めた新筆手鑑と区別して呼ぶこともある。また写経手鑑,色紙短冊手鑑,古文書手鑑などもつくられた。手鑑における筆者の定め方,古筆の種類やその配列の次第などから当時の人々の古筆鑑賞のあり方を知ることができる。その配列は,通式として表に勅筆,親王,摂家清華,平公家と階級別に筆蹟をならべ,その後には御子左,二条冷泉といった歌道宗家を配し,裏に経切,ついで名人といわれる平安朝以来の能書,その後に世尊寺といった書道宗家,さらに法親王,高僧,連歌師,武家,女筆などを配する。この配列法は古筆流派によって異なるが,基本的には天皇を中心とする階級別構成と,高野切,石山切,三筆,三蹟などの名筆,および歌道書道宗家の筆蹟の3部により構成され,とくに大聖武と呼ばれる大字の写経断簡を巻頭に配するのを通例とする。遺品は数多いが,代表的なものとして《藻塩草》(京都国立博物館),《大手鑑》(陽明文庫),《翰墨城》(MOA美術館),《見ぬ世の友》(出光美術館)の国宝手鑑を挙げることができる。
古筆
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日本歴史地名大系 「手鑑」の解説

手鑑
てかがみ

解説 岡山藩領・鴨方藩領全域村別に、朱印高、村高、又高(新田高)、直高(三二万石を五〇万六千石に換算した作り高)、給人、田畑畝数・物成、開田畑畝数、家数、寺社、人数、牛馬数、樋、橋、商人・諸職人、岡山までの距離などが記される。「岡山藩領手鑑」(略称)磐梨郡を除く備前七郡(七冊)と備中領分(一冊)からなる。窪屋郡西郡村の記述で「文化十年迄」と二ヵ所にみられることから、文化一〇年に記されたと考えられ、各郡の様式がほぼ統一されているので、全藩的にこの時期に編纂されたものであろう。浅口郡上竹村に文化六年の新開が記されることや、大庄屋の勤務年代からも矛盾しない。嘉永五年の「中泉組手鑑」(略称)一冊とともに原本は黒原家蔵。「磐梨郡三組手鑑」(略称)は磐梨郡徳富村の大庄屋和気家が縁続きの芳方家に数点の史料を預けたうちの一つ。原本一冊で、芳方家蔵。三組(構)の一つの大庄屋が磐梨郡弥上村の和三郎で、彼は天保四―一三年の間大庄屋を勤めているのでこの間のものといえよう。


手鑑
てかがみ

一冊

成立 文政一二年頃

原本 鹿田静七旧蔵

写本 大阪市史編纂所

解説 大坂町奉行交替時、新任奉行へ提出するため管内状況をとりまとめたもの。また大阪市史編纂係で鹿田本手鑑未収の項目を町奉行所旧記などから拾い集めて一書とした「手鑑拾遺」がある。ともに「手鑑・手鑑拾遺」として大阪市史史料第六輯に翻刻。


手鑑(大津手永手鑑)
てかがみ

一冊

成立 文化一一年

原本 平野俊一


手鑑(五町手永手鑑)
てかがみ

一冊

活字本 「肥後国郷村明細帳」(二)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「手鑑」の意味・わかりやすい解説

手鑑
てかがみ

古筆切(こひつぎれ)などの書跡の鑑賞形態の一つ。「手」は筆跡、「鑑」は規範、あるいは鏡の意味。厚手の紙を用いて折帖(おりじょう)仕立てにし、優れた筆跡を一定の配列で順序よく貼(は)り込んだもの。つまり、手軽に開いていつでも鑑賞できる筆跡のアルバムである。表は伝聖武(しょうむ)天皇宸筆(しんぴつ)「大聖武(おおじょうむ)」を巻頭に「蝶鳥下絵経切(ちょうとりしたえぎょうぎれ)」と続くのが一般的。普通、1帖だが、2、3帖のものもあり、一紙ごとに伝称筆者、切名、書き出しを記した極札(きわめふだ)が貼付(ちょうふ)される。極め(鑑定)を業とする家では、家伝の古筆手鑑は鑑定の基本台帳的存在でもあった。

 室町末期から多くの古筆が切断され、古筆切愛好の風潮が高まったが、手鑑の流行もそれと軌を一にする。すでに桃山時代に好事家(こうずか)の間で行われており、流行が頂点を極めるのは江戸初期である。貴賤(きせん)を問わず大いにもてはやされ、『慶安(けいあん)手鑑』(1651)など木版手鑑の相次ぐ刊行は、その実態を端的に物語っている。代表的な手鑑に国宝の『翰墨城(かんぼくじょう)』(熱海(あたみ)・MOA美術館)、『見ぬ世の友』(東京・出光(いでみつ)美術館)、『藻塩草(もしおぐさ)』(京都国立博物館)などがある。このほか、短冊手鑑、写経手鑑、古文書手鑑というように、内容の種類を単一に限定したものもつくられた。

[尾下多美子]

『京都国立博物館編『藻塩草』(1969・淡交社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「手鑑」の意味・わかりやすい解説

手鑑
てかがみ

古筆切や経巻,その他の筆跡を張った折本装の帖。安土桃山時代頃から始り江戸時代に盛行した。張り方としては聖武天皇,光明皇后筆と伝称する写経 (→大聖武 ) などから始り,歴代の天皇,貴族,能書家,高僧,武家,女性といったように大別し,年代順とするのが一般的。古来の名筆家の筆跡が収録されているので書道史研究上重視される。著名な遺品には『月台』 (東京国立博物館) ,『藻塩草』 (国宝,京都国立博物館) ,『見ぬ世の友』 (国宝) ,近衛家煕編集の『大手鑑』 (国宝,陽明文庫) ,『翰墨城』などがある。

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百科事典マイペディア 「手鑑」の意味・わかりやすい解説

手鑑【てかがみ】

古筆鑑定,鑑賞のために,各時代名家の筆跡の断簡や色紙,短冊などをはり込んだ帖。桃山時代以前に始まり,江戸時代に盛んとなり,武家,公家では大切な嫁入道具の一つとなった。陽明文庫蔵《大手鑑》,MOA美術館蔵《翰墨城》,出光美術館蔵《見ぬ世の友》などが代表的。

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