払田柵(読み)ほったのさく

日本の城がわかる事典 「払田柵」の解説

ほったのさく【払田柵】

秋田県大仙市(旧仙北町)から仙北郡美郷町(旧千畑町)にかけてあった平安時代の城柵。国指定史跡。20世紀初めに、美郷町の水田から多数の柵木が発見されたことから本格的な調査が行われ、平安時代の城柵であることが確認されて、1931年(昭和6)に国指定史跡になった。この柵は文献史料にその記述がないため幻の柵とも呼ばれている。発見された木片の文字などから、9世紀初めの坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の遠征によりつくられた、陸奥国の胆沢城(いさわじょう)(岩手県奥州市)や志波城(岩手県盛岡市)と同時期の出羽国の柵であることがわかった。雄勝城(秋田県横手市)の移転により建設された新たな柵ではないかなど、さまざまな議論がある。外郭は東西約1370m、南北約780m(面積約87.8万m2)と多賀城(宮城県多賀城市)よりも大きく、東北地方の古代の城柵として最大級である。その中央には板塀に囲まれた政庁跡も確認されている。払田柵跡大部分が水田や民家になっているが、その一角には発掘調査に基づいて復元された外郭南門や大路、政庁の建物などがある。また、隣接する払田柵総合案内所や秋田県払田柵跡調査事務所(秋田県埋蔵文化財センター)には出土品が展示されている。JR奥羽本線・秋田新幹線大曲駅(大曲バスターミナル)からバス約20分で秋田県埋蔵文化財センター前下車。◇「ほったのき」ともいう。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「払田柵」の意味・わかりやすい解説

払田柵
ほったのさく

秋田県大仙(だいせん)市払田および仙北(せんぼく)郡美郷(みさと)町本堂城回(ほんどうしろまわり)所在の古代の城柵。「払田柵跡」として国の史跡に指定されている。1930年(昭和5)に発掘調査された。真山長森の二つの丘陵楕円(だえん)形状に、東西およそ1350メートル、南北およそ720メートル、角材を板塀状にすきまなく立て並べて柵列を構成し、4辺の中央には三間一戸の八脚門を置いている。さらに外周柵の内側、長森丘陵北側にも630メートルの長さに内柵をつくり、ここにも門を置き、南門~北門を結ぶ南北中軸線上にのるようにしている。この城柵址(し)は地名により払田柵とよばれてきた。

高橋富雄


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「払田柵」の意味・わかりやすい解説

払田柵
ほったのき

奈良時代,蝦夷鎮撫のため築かれた城柵 (→ ) 。秋田県中南部,大仙市高梨および払田から美郷町にわたり,烏川と鞠子川の間の真山および長森をめぐって築かれた。 1930年遺跡発掘の結果,その存在が明らかになった。

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世界大百科事典(旧版)内の払田柵の言及

【雄勝城】より

…このように重要な施設であったにもかかわらず,その遺跡については諸説があって定まらない。大曲市の東,仙北郡仙北町に〈払田柵(ほつたのさく)〉と呼ばれる大規模な城柵遺跡があり,それを雄勝城にあてようとする説もある。しかしこの地が後の雄勝郡内に属さないことが払田柵=雄勝城跡説の弱点といわれている。…

※「払田柵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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