改訂新版 世界大百科事典 「雄勝城」の意味・わかりやすい解説
雄勝城 (おがちじょう)
8世紀の前半までに出羽柵,秋田城が築かれ,出羽国の庄内平野や秋田平野が一応律令国家に組みこまれた。ついで政府は懸案であった秋田県の内陸部,雄勝地方(横手盆地)への進出を企てた。そのために759年(天平宝字3)に築かれたのが雄勝城である。これは東北の行政・軍事の全権をゆだねられた藤原朝獦が積極的に推進した政策で,雄勝城築城に呼応するがごとく,陸奥側では同時に桃生(ものう)城が築かれる。雄勝城は築城以来10世紀ごろまでにかけて,国府,秋田城とならんで,出羽国統治の中心的役割を果たした城柵である。このように重要な施設であったにもかかわらず,その遺跡については諸説があって定まらない。大仙市の旧仙北町に〈払田柵(ほつたのさく)〉と呼ばれる大規模な城柵遺跡があり,それを雄勝城にあてようとする説もある。しかしこの地が後の雄勝郡内に属さないことが払田柵=雄勝城跡説の弱点といわれている。
→払田柵遺跡
執筆者:桑原 滋郎
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