平安中期の物語。作者は古くから大弐三位(だいにのさんみ)(紫式部娘)とされていたが、今日では六条斎院禖子(ばいし)内親王家宣旨(せんじ)とすることでほぼ一致している。成立は承暦(じょうりゃく)年間(1077~1081)の前後であったと思われる。
この物語は4巻からなり、男主人公の狭衣大将が、従妹の美しい源氏の宮へ思慕の情を寄せることで全編が貫かれている。ただその恋の思いは果たすことができず、彼は「色々に重ねては着じ人知れず思ひそめてし夜半の狭衣」との歌を詠み、純粋な愛を貫こうとするが、現実には不本意ながら次々と別の女性との関係をもつに至る。源氏の宮への恋慕を底流にしながら、巻1では飛鳥井(あすかい)の君、巻2では嵯峨院女二宮(さがのいんおんなにのみや)、巻3では一品宮(いっぽんのみや)、巻4では藤壺中宮(ふじつぼのちゅうぐう)を登場させ、狭衣大将との恋物語を展開する。だがその女性たちも、飛鳥井の君は失踪(しっそう)して死に、女二宮は出家し、一品宮とは結婚した当初から疎遠な仲であるなど、苦悶(くもん)の多い恋愛を強いられる。思いがけなく狭衣大将は帝位につき、源氏の宮におもかげの似る藤壺中宮との間に皇子をもうけるが、彼の心は飛鳥井の君や女二宮などを思って晴れるおりがなかったという。『無名草子(むみょうぞうし)』に「狭衣こそ源氏に次ぎてはよう覚え侍(はべ)れ」とあるように、早くから『狭衣物語』の評価は高い。『源氏物語』の亜流との批評もあるが、完成度の高い作品として改めて見直そうとする動きもある。
[伊井春樹]
『松村博司・石川徹校註『日本古典全書 狭衣物語』上下(1965、1967・朝日新聞社)』▽『三谷栄一・関根慶子校注『日本古典文学大系79 狭衣物語』(1965・岩波書店)』▽『吉田幸一著『深川本 狭衣とその研究』(1982・古典文庫)』
平安後期の物語。4巻。作者は後朱雀院の皇女禖子(ばいし)内親王に仕えた宣旨(女房の名)と伝えられる。宣旨は1055年(天喜3)5月の《六条斎院歌合》(題物語)に《玉藻に遊ぶ》という物語を提出しているが,今は散逸している。宣旨には源頼国女が擬せられているが確かでない。物語は帝の甥である狭衣大将の,従妹源氏宮に対する満たされぬ恋の話を中心とし,飛鳥井姫,女二宮,一品宮とのそれぞれいきさつがあっての不幸な契りの話をからませ,最後は源氏宮の縁筋で宮に似た宰相中将妹君を得,わずかに心慰み,帝位にもつくが,源氏宮,一品宮,女二宮からは背かれたままで終わるという筋。《源氏物語》の薫の性格を狭衣大将に移し,それをめぐる女性たちに藤壺,夕顔,浮舟,紫上等の人物とそれに伴う事件を巧みに按配して作りなした,いわば《源氏物語》の縮小版の物語。鎌倉時代には《源氏物語》に次ぐ秀作と評価された。また,御伽草子や宴曲,謡曲などの題材とされ,ひろく受容された。しかし,人生観照の深みに欠け,現在は余り高く評価されない。
執筆者:松尾 聰
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平安中・後期の物語。4巻。作者は六条斎院禖子(ばいし)内親王の女房宣旨(せんじ)(源頼国の女)とする説が有力。1040~80年代の成立らしい。「源氏物語」の薫的な男主人公と数々の女君との恋物語。「源氏物語」などの先行作品に準拠しつつ緻密に物語を構成し,引歌など技巧を駆使した絢爛たる文章で,中世には「源氏」「狭衣」と並称された。「日本古典文学大系」「新潮日本古典集成」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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