(1)能の曲目。四番目物。現在物。作者不明。宮増(みやます)作ともいう。シテは牧野小次郎の兄。牧野小次郎(ツレ)の父が口論の結果殺害されたので,小次郎は禅門に入っていた兄の僧(シテ)を訪れて説得し,敵討を計画する。敵の利根信俊(とねののぶとし)(ワキ)が瀬戸の三島に参詣(さんけい)に出たので,兄弟は大道芸人の放下僧(放下)になりすまして信俊に近づき,言葉おもしろく禅問答を交わしたりして取り入り,道中の供を許される。そして曲舞(くせまい),太鼓踊,小歌などのさまざまの芸を演じて見せ(〈クセ・羯鼓・小歌〉),すきをうかがって望みを果たす。《望月(もちづき)》と同じく敵討の手段という形で芸尽しを見せる能。禅問答の部分も一種の話芸として芸尽しの一環をなす。クセ・羯鼓と続いたあとの,俗に小歌と称する部分は,他の能にない特殊な作曲形式だが,狂言でいう小歌節ではない。
執筆者:横道 万里雄(2)民俗芸能・邦楽の放下僧物。(1)の小歌は,本来〈放下〉の代表的な歌であって,コキリコなどを伴奏とする。〈面白の花の都や……〉という歌い出しで,《閑吟集》にも収録されており,(1)以外にも,狂言《花折》《花盗人》などにも用いられる。これが,東京都小河内の《鹿島踊》をはじめ,各地の〈風流(ふりゆう)〉や〈神事舞〉の歌として遺存し,《こきりこ》という曲題でもいわれた。早く,女歌舞伎踊にもとり上げられ,《松の葉》では,上方で行われた座敷浄瑠璃の半太夫節として,2種の〈放下僧〉の歌が収録されている。そのうちの〈面白の……〉の歌は,後に岸野次郎三郎作曲の二上り芝居歌《放下僧》として行われ,現在まで地歌として伝承されている。そのほか,宇治加賀掾の浄瑠璃にもとり入れられているが,義太夫節の《摂津国長柄人柱(せつつのくにながらのひとばしら)》五段目〈蘆刈の段〉の中にとり入れられているものが有名。
執筆者:平野 健次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
能の曲目。四番目物。五流現行曲。作者は宮増(みやます)ともされるが不明。父を利根信俊(とねののぶとし)に殺された牧野小次郎(ツレ)は、仏門にある兄(シテ)を説得し、旅芸人の放下僧の姿となって敵(かたき)討に出(い)で立つ。三島(みしま)明神に参詣(さんけい)にきた利根(ワキ)に、2人は彼の好む禅問答で近づき、すきをうかがってついに敵を討つ。この能の眼目は、その敵討のストーリーよりも、禅とともに、中世に流行した曲舞(くせまい)、羯鼓(かっこ)、小歌などの芸能づくしにねらいがあり、とくに「面白(おもしろ)の花の都や」で始まる小歌は、狂言の『花折(はなおり)』『花盗人(はなぬすびと)』でも歌われるように、当時の流行歌がそのままに取り入れられ、『閑吟(かんぎん)集』にも採られている。
[増田正造]
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…放下は禅家から出た用語で,ものごとを放り投げて無我の境に入ることを〈放下す〉といった。室町期には僧形をした放下(家)僧や,烏帽子(えぼし)姿で恋歌を書いた短冊を笹竹に吊り下げ背に負った放下師などが活躍し,弄丸(ろうがん),品玉(しなだま),輪鼓(りゆうご)など,品物を空中に投げ上げて曲取りする散楽(さんがく)系の曲芸や,コキリコなどでリズムをとって物語り歌をうたい歩き,子女の人気を得た。近世にいたって俗人の手に移ってからは単に放下と呼ぶようになった。…
…放下は禅家から出た用語で,ものごとを放り投げて無我の境に入ることを〈放下す〉といった。室町期には僧形をした放下(家)僧や,烏帽子(えぼし)姿で恋歌を書いた短冊を笹竹に吊り下げ背に負った放下師などが活躍し,弄丸(ろうがん),品玉(しなだま),輪鼓(りゆうご)など,品物を空中に投げ上げて曲取りする散楽(さんがく)系の曲芸や,コキリコなどでリズムをとって物語り歌をうたい歩き,子女の人気を得た。近世にいたって俗人の手に移ってからは単に放下と呼ぶようになった。…
※「放下僧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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