方孝孺(読み)ホウコウジュ

デジタル大辞泉 「方孝孺」の意味・読み・例文・類語

ほう‐こうじゅ〔ハウカウジユ〕【方孝孺】

[1357~1402]中国初の朱子学者。寧海(浙江せっこう省)の人。あざなは希直・希古。号、遜志そんし正学せいかく先生と称された。恵帝に仕え、王道政治を説き、えん王(のちの永楽帝)に反抗し、一族弟子とともに死刑に処せられた。著「遜志斎集」。

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精選版 日本国語大辞典 「方孝孺」の意味・読み・例文・類語

ほう‐こうじゅハウカウジュ【方孝孺】

  1. 中国、明初の学者、政治家。字は希直または希古。号は遜志。浙江省象山県の人。「太祖実録」などを編修した。燕王(永楽帝)が恵帝を殺して帝位を奪った時、即位の詔を書くことを命ぜられたが応ぜず、一族とともに殺された。著に「遜志斎集」がある。(一三五七‐一四〇二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「方孝孺」の意味・わかりやすい解説

方孝孺
ほうこうじゅ
(1357―1402)

中国、明(みん)代初期の思想家。字(あざな)は希直(きちょく)、または希古(きこ)、号は遜志(そんし)。浙江(せっこう)省象山県の人。その廬(いおり)を正学と名づけた。儒仏を究めた明初の文雄宋濂(そうれん)に学んで学殖を深めた。恵帝(建文帝)が1398年に即位すると翰林侍講(かんりんじこう)、翰林博士、文学博士と累遷し、国家大政の諮問にあずかり、燕(えん)王朱棣(しゅてい)(後の永楽帝)が兵をおこすと討伐の詔檄(しょうげき)を全部書いた。恵帝が自焚(じふん)し、成祖永楽帝が即位して、即位の詔(みことのり)を書くことを命ぜられると死をもって拒絶し、「燕賊纂位(えんぞくさんみ)」と書いて磔刑(たっけい)に処せられ、一族847人も族滅された。著書はいま『遜志斎集』24巻のみが残っている。思想内容は朱子学の枠を出ない。むしろ「大義名分」を発揮した正義の人として、党争、弾圧の激しかった明末に、とくに東林派に高く評価され、日本においても崎門(きもん)学派の人に評価された。

田公平 2016年2月17日]

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改訂新版 世界大百科事典 「方孝孺」の意味・わかりやすい解説

方孝孺 (ほうこうじゅ)
Fāng Xiào rú
生没年:1357-1402

中国,明初の学者。浙江省寧海県の人。字は希直または希古,号は遜志,別に方正学とよばれる。代々官僚の家の子で,10歳で当代の碩学宋濂(そうれん)に学び,濂門の第一人者とうたわれた。はじめ洪武帝に召されたが,建文帝の即位とともに翰林院侍講に任ぜられ,ついで侍講学士にすすみ,国政の枢機に参画した。燕王(のちの永楽帝)が挙兵して〈靖難の変〉が起こると,帝の側近にあって輔佐したが,戦いに敗れて建文帝は没し,彼自身も捕らえられた。南京占領に先立ち,姚広孝は方孝孺を殺せば天下の学問の種子が絶えると忠告していたが,彼が即位の詔勅を書くのを拒否し,〈燕賊位を(うば)う〉と大書したため,永楽帝は彼を磔刑に処し,妻子をはじめ一族八百数十名を殺害した。その学問は宋学を継承し,永楽時代には,彼の文章を持っていただけで死刑になったと伝えられるが,《遜志斎集》24巻などが残っている。
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百科事典マイペディア 「方孝孺」の意味・わかりやすい解説

方孝孺【ほうこうじゅ】

中国,明初の朱子学者,政治家。浙江の人。1392年洪武帝の信任を得て漢中府学教授,建文帝のとき,国政に参与した。1402年建文帝の叔父燕王が兵を起こし南京を陥れると,建文帝はのがれたが孝孺は捕らえられた(靖難(せいなん)の変)。燕王は自立して帝位につき(成祖永楽帝),孝孺に詔の起草を命じた。孝孺はこれを拒否し,〈燕賊簒位(燕賊位を簒(うば)う)〉と大書したため,一族ともに処刑された。著書は《周礼弁正》など数種あったが,燕王によって焼かれ,《遜志斎集》《方正学文集》のみが残る。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「方孝孺」の意味・わかりやすい解説

方孝孺
ほうこうじゅ
Fang Xiao-ru

[生]至正17(1357)
[没]建文4(1402)
中国,明初の学者,文学者。台州寧海 (浙江省象山県) の人。字,希直,希古。号,遜志,正学。宋濂 (そうれん) の門に入って抜群の俊才といわれ,洪武帝に召され漢中教授となり,建文帝が即位すると翰林院侍講から侍講学士に進み,また『太祖実録』などの編纂を総裁した。やがて燕王朱棣 (しゅてい。のちの永楽帝) が南京を陥れ,建文帝が火中に崩じたとき,捕えられて永楽帝の即位の詔を起草するよう求められたが聞かず,一族,友人,門弟 873人とともに殺された。主著『遜志斎集』 (24巻) ,『侯城雑誡』。

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旺文社世界史事典 三訂版 「方孝孺」の解説

方 孝孺
ほうこうじゅ

1357〜1402
明初期の学者
号は遜志。浙江 (せつこう) の人。宋濂 (そうれん) に学び,のち洪武帝や建文帝に仕えて信任厚く,侍講学士・文学博士となり,国政に参与した。靖難 (せいなん) の変で建文帝を助け,朱棣 (しゆてい) 討伐の檄文を書く。永楽帝への服従を拒絶し,ついに一族800余人とともに処刑された。

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