日元貿易(読み)にちげんぼうえき

改訂新版 世界大百科事典 「日元貿易」の意味・わかりやすい解説

日元貿易 (にちげんぼうえき)

日本と中国の元との間で行われた貿易。元は2度にわたり日本に遠征したが(モンゴル襲来),その目的の一つは,日本を朝貢国にし,その富を獲得することにあった。そのため,両国は政治的には緊張状態にありながらも,経済的には交流を保った。すなわち文永の役(1274)と弘安の役(1281)の間にあたる1276年(建治2)日本の商船が中国明州から帰国している。また翌77年に元は泉州,広州,慶元,上海浦に市舶司を設けて貿易を管理したが,同年に金を携え,銅銭との交易を求めた日本商船にそれを許した。78年(弘安1)元のフビライは日本商船の貿易を許可し,79年には日本商船が慶元に入港した。81年の弘安の役によって日元貿易は一時断絶したが,数年後には復活している。98年(永仁6)4月五島付近で難破した藤太郎入道忍恵唐船には葛西殿,浄智寺方丈,大方殿といった得宗家ゆかりの人々の積荷があり,北条氏も日元貿易に積極的に関与したことがわかる。

 鎌倉後期から,莫大な寺社の造営費を貿易船の利益で調達することが行われるようになり,1325年(正中2)の建長寺船,29年(元徳1)の鎌倉大仏造営料唐船,41年(興国2・暦応4)の天竜寺船はその代表的なものであった。これに便乗して多くの僧侶が元に渡った。また日本遠征の失敗後,元の官吏は日本商船に高い関税をかけるなどして圧迫し,日本商船との間に衝突がおこった。ときに武力衝突に至ることもあり,これが常習化してやがて倭寇(わこう)となった。元からの輸入品には銅銭,陶磁器香料,薬材,書籍,経典,絵画,茶,織物などがあり,日本では唐物として珍重され,日本の経済や文化に大きな影響を与えた。日本からの輸出品としては金,銅,水銀,硫黄,日本刀,扇,螺鈿(らでん),蒔絵(まきえ)などがあり,特に日本刀は優秀で,中国でも重要視された。なお,1976年に韓国新安沖海底で発見された元代の沈没船は1323年(元亨3)ころの船で,大量の中国陶磁,銅銭のほか,日本の人名や寺社名を記した木簡や日本製遺物を積載しており,これらから,元から日本へ向かった貿易船と推定されている。
日明貿易 →日宋貿易
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日元貿易」の解説

日元貿易
にちげんぼうえき

鎌倉~南北朝期の日本と中国の元との貿易。元寇のため,日元間に外交関係は成立しなかったが,民間レベルでは活発に貿易船が往来し,元に留学する禅僧や,元から来日する禅僧も多く乗船した。元は泉州・広州・慶元(現,寧波(ニンポー))などに市舶司(しはくし)を設けて貿易を管理し,貿易船は慶元と博多を往来した。13世紀末には元の貿易統制がきびしくなり,公貿易のみ許可され,市舶司発行の渡航証明書である公憑(こうひょう)の持参が義務づけられた。14世紀に幕府や朝廷公認の寺社造営料唐船(じしゃぞうえいりょうとうせん)が派遣された。新安沈船(しんあんちんせん)もその一つ。元への輸出品は金・日本刀・扇子・螺鈿(らでん)・蒔絵(まきえ)・硫黄(いおう)・銅など。元からの輸入品は銅銭・香料・薬品・書籍・茶・陶磁器など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日元貿易」の解説

日元貿易
にちげんぼうえき

中世,日本と中国の元との間に行われた貿易
私貿易が行われていたが,1267年,元の世祖からの牒状が屈辱的なものであったため鎌倉幕府は返牒を出さず使者を追い帰した。その後も正式の国交は開かれず,ついに元は'74・'81年の両度に来襲した(元寇 (げんこう) )。鎌倉末期に建長寺船が,南北朝時代に足利尊氏が天竜寺船を元に派遣している。禅僧の往来や水墨画・茶器などがもたらされた。

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