日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本電気産業労働組合」の意味・わかりやすい解説
日本電気産業労働組合
にほんでんきさんぎょうろうどうくみあい
略称電産。1946年(昭和21)4月5日、発電、送電、配電関係労組の協議体として結成された産業別組合。同年の産別会議10月闘争では電産型賃金体系を実現、二・一スト後の1947年5月、単一化を成し遂げ、最盛時の1948年には約15万人を擁していた。電産型賃金は最低生活保障給で、本人、家族の最低生活を保障する賃金を年齢別に保障し、そのうえに能力給、勤続給を加味して、基本給部分の明確化と拡大を図ったもので、労働組合の賃金要求のモデルとなった。1949年5月に開かれた第4回大会で民同派が主導権を握ったが、1952年秋の電産争議を通して、各組合が電産を脱退し、電産は分裂、その多くは1954年5月27日、全国電力労働組合連合会(電労連、のちに電力労連。同盟加盟)を結成した。その結果、電産は中国地方の電産中国のみとなり、1965年10月27日、九州、北海道などの組織とともに、全日本電力労働組合協議会(全電力。日本労働組合総評議会=総評加盟)を結成した。
1981年、電力労連が中心となり、電工労連、全国検集労連、電保労連の大部分とともに全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)を結成。1989年(平成1)総評の解散に伴い、日本労働組合総連合会(連合)に加盟する。1993年には、電力総連をいったん解散すると同時に、全国組織として一本化された新生の電力総連(名称は変わらず)を結成した(電力労連、電工労連、全国検集労連、電保労連の4団体に含まれるすべての組織が電力総連に加入したことになる)。1996年、全電力との合併・統合が始まり、1999年には全電力の単位組織すべてが電力総連のなかに統合された。
[大野喜実・早川征一郎]