20世紀日本人名事典 「早川 徳次」の解説
早川 徳次
ハヤカワ トクジ
- 生年
- 明治26(1893)年11月13日
- 没年
- 昭和55(1980)年6月24日
- 出生地
- 東京市日本橋区久松町(現・東京都中央区)
- 学歴〔年〕
- 小学校中退
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和35年〕,勲三等瑞宝章〔昭和40年〕,大阪文化賞〔昭和46年〕
- 経歴
- 東京の金属細工屋ででっち奉公のあと大正元年に独立、バンドの留め金で特許を得、4年にはシャープペンシルを発明して発売、アメリカの特許も取得して事業の基礎を固める。しかし、12年の関東大震災で工場は壊滅、13年大阪に移って早川金属研究所を設立、14年ラジオ受信機の製造を始めた。昭和17年に早川電機工業と社名を変更、26年には国産第1号のテレビ受像機を完成させ、45年にシャープと社名を改めると同時に社長から会長に就任。その後は身障者の雇用増進など社会福祉事業に力を尽くした。
早川 徳次
ハヤカワ トクジ
大正・昭和期の実業家 東京地下鉄道社長。
- 生年
- 明治14(1881)年10月14日
- 没年
- 昭和17(1942)年11月29日
- 出生地
- 山梨県
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学法科〔明治41年〕卒
- 経歴
- 雑誌「太平洋」、佐野鉄道を経て、明治45年高野登山鉄道支配人となった。大正3年辞任、大隈重信に紹介されて鉄道院嘱託となり、2年間ロンドンに地下鉄の研究に赴任。帰国後の6年東京軽便地下鉄道の名で地下鉄敷設免許を申請、8年許可され、9年東京地下鉄道株式会社を創設、常務。13年専務。昭和2年日本最初の地下鉄・上野―浅草間を開通、9年には新橋―浅草間を全通させた。後社長となったが、渋谷―新橋間(東京高速鉄道)の五島慶太との経営権抗争に敗れ、15年社長を辞任した。わが国地下鉄の先駆者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報