高野新笠 (たかののにいがさ)
生没年:?-789(延暦8)
光仁天皇の夫人。桓武天皇・早良親王らの母。もと和(やまと)新笠という。父は百済系氏族の和乙継,母は土師(はじ)真妹。土師氏のうち毛受(もず)腹にあたる家系で,のちに山背国の居地により大枝朝臣と改姓する。諸王だったころの白壁王(光仁天皇)との間に733年(天平5)能登内親王,737年桓武天皇,さらに750年ごろ早良親王をもうけた。光仁天皇の即位により夫人となり,高野朝臣と改姓するが781年(天応1)娘,夫をあいついで失う。桓武の即位で皇太夫人となるが,785年(延暦4)に末子早良親王が藤原種継暗殺事件に連座し淡路流配の途に憤死するという事件にあう。789年に没し翌年山背国乙訓郡の大枝山陵に葬られた。百済系の出身であることが桓武天皇に大きな影響を与えたと思われる。
執筆者:勝浦 令子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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高野新笠
たかののにいがさ
[生]?
[没]延暦8 (789).12.28.
光仁天皇の妃。渡来人系の氏,和氏(やまとうじ)の子孫で,父は和乙継(やまとのおとつぐ)。母は大枝真妹。宝亀年間(770~781)に,高野朝臣(たかののあそみ。→朝臣)と改姓(→姓)。桓武天皇,早良親王の母。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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高野新笠
たかののにいがさ
(?―789)
光仁(こうにん)天皇の夫人。父は百済(くだら)系渡来氏族の和乙継(やまとのおとつぐ)、母は土師真妹(はじのまいも)。天智(てんじ)天皇の孫白壁(しらかべ)王(光仁天皇)との間に、桓武(かんむ)天皇、早良(さわら)親王らを生んだ。770年(宝亀1)光仁天皇即位ののち夫人となり、高野朝臣(たかののあそん)の姓を賜った。母が渡来氏族の出身であったことは、次いでたった桓武天皇に大きな影響を与えた。延暦(えんりゃく)8年12月28日没、翌年山背(やましろ)国(京都府)の大枝(おおえ)山陵に葬られた。
[笹山晴生]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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高野新笠 たかのの-にいがさ
?-790* 奈良時代,光仁(こうにん)天皇の妃。
和乙継(やまとの-おとつぐ)の娘。桓武(かんむ)天皇,早良(さわら)親王,能登(のと)女王を生む。光仁天皇即位後,高野朝臣に氏姓をあらため,桓武天皇即位後は皇太夫人となる。延暦(えんりゃく)8年12月28日死去。9年皇太后,大同(だいどう)元年太皇太后を追贈された。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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