朝日日本歴史人物事典 「高野新笠」の解説
高野新笠
生年:生年不詳
奈良時代,光仁天皇の妃。桓武天皇の母。和乙継と土師真妹の娘。父方は渡来系氏族で,百済武寧王の子孫。天平1(729)年ごろ結婚し,同5年能登女王,同9年山部王(桓武天皇),天平勝宝2(750)年早良王を出産。光仁天皇が即位すると姓を高野朝臣に改められ,宝亀9(778)年従三位となる。桓武即位により皇太夫人,正三位となる。2週間ほど病床につき,延暦8年末に死去。翌年皇太后を追贈され,天高知日之子姫尊と諡されて大枝陵(京都市西京区大枝沓掛町字伊勢講山とされている)に葬られた。母方にちなむ場所である。諡号は,河伯の娘が日精に感じて生まれた王の子孫ということで付けられたという。渡来系氏族出身の一族から桓武という天皇を出しながら権勢は長くは続かず,高野朝臣という姓は新笠と父乙継のみである。長命であったと推定されるが,藤原種継暗殺事件へのかかわりから早良親王に先立たれたことは晩年の痛みであったろう。孫の平城天皇即位により太皇太后。桓武即位10年に当たり,母真妹が外祖母として正一位を追贈され大枝朝臣姓を賜ったことは,新笠の地位の影響を後世まで残した。すなわち,文人の家系として有名な大江氏の祖である。<参考文献>林陸朗「高野新笠をめぐって」(『折口博士記念古代研究所紀要』3号)
(児島恭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報