気象庁によると、1956年に南極観測のため出発した第1次隊が、57年に東オングル島に開設した日本の観測基地。南極大陸とは海氷でつながっている。管理棟や気象棟からなり、越冬隊員の個室や食堂、風呂、図書室などがある。食料確保のため棟内で野菜も栽培する。87年からは女性隊員も参加。基地付近ではオーロラが見えるほか、12~2月の夏には太陽が一日中沈まない白夜となる。国立極地研究所によると、これまで延べ3376人の隊員らが観測を続け、
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国際地球観測年(1957-58)の観測のため,日本南極地域観測隊が1957年1月29日に南極のリュツォー・ホルム湾北東端の東オングル島に設けた観測基地。現在は文部省国立極地研究所の付属施設。基地の天測点(標高29m)の位置は南緯69°00′,東経39°35′。島は先カンブリア時代の片麻岩や花コウ岩の丘陵から成り,多年性積雪が点在する。年平均気温は-10.6℃(1月は-0.7℃,8月は-19.5℃)で最低気温は-45.3℃(1982年9月4日)。幅約5kmのオングル海峡によって大陸氷縁と隔てられているため,大陸からの斜面下降風の影響は少ない(年平均風速6.1m)。57年より62年まで,第2次および第6次観測をのぞき,4次の越冬観測が行われた。その後基地は一時閉鎖され,66年の第7次観測により再開,現在まで越冬観測が続けられている。この間観測船として,最初は〈宗谷〉が使用され,その後65年には〈ふじ〉が,83年には〈しらせ〉が就航した。第1次に11名で始まった越冬観測は82年には35名で行われた。建物総面積も当初の200m2から約4000m2に増え,約30棟の観測施設,宿舎,倉庫等があり,恒久基地として整備されている。基地ではオーロラ,電離層,気象,地磁気,地震,潮汐の観測が国内の関係機関から派遣される隊員によって常時続けられており,観測所の性格や,特定の研究計画を一定期間集中的に行うための研究室としての性格をもつ。83年までのおもな成果は,1960-61年のやまと山脈の発見と調査,68-69年の南極点往復調査旅行,69年12月のやまと隕石の発見とその後の4000個に及ぶ収集,70年2月の第1回観測ロケット打上げとその後の本格化,70年7月の内陸でのみずほ観測拠点の設置とその後の内陸調査活動の拡大などがある。この間の1960年10月,第4次越冬中に福島紳隊員が雪あらしのため遭難した。基地内のケルンは南極条約による南極史跡のひとつとなっている。また,第2次観測では悪天候のため〈宗谷〉が基地に接近できず越冬観測を断念,基地は約1年間無人となった。このとき残された15頭の犬のうち,タローとジローの2頭の生存が59年1月にわかり話題となった。
みずほ基地は昭和基地の南東約270kmの南緯70°42′,東経44°20′,標高2230mの大陸氷床上にみずほ高原調査の前進拠点として70年に設けられたが,施設の大部分は積雪のため埋没した。70年から75年までは数名によって断続的に,76年からは通年維持されており,78年3月にみずほ基地となった。昭和基地と同じ地磁気子午線上にあるので,超高層物理観測に適しており,気象,雪氷,人体生理の観測や研究も行われている。年平均気温は約-33℃でときには-60℃に達する。斜面下降風域にあるため年平均風速は約10mで吹雪の日が多い。同基地は内陸調査旅行の起点としても重要である。83年から基地内で深さ約500mを目標とする氷床掘削が始まった。
執筆者:楠 宏
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国際地球観測年(1957~58)の観測のため、南極リュツォ・ホルム湾東岸の東オングル島に、1957年(昭和32)1月29日に開設された日本の観測基地。基準となる天測点の位置は、南緯69度0分、東経39度35分、高度43メートル。南極大陸とは幅約5キロメートルのオングル海峡で隔てられている。年平均気温は零下約10℃で、夏には露岩が現れる。オーロラ帯の直下にあるので観測の適地である。開設以来、58年の第2次越冬は不成立に終わったが、62年まで越冬観測が行われた。一時閉鎖のあと、66年(第7次)から現在(2006。第47次)まで維持されている。観測項目は、極光、夜光、気象、地磁気、地震、潮汐(ちょうせき)の定常観測と、超高層大気物理学、雪氷、地質、地理、生物、医学などの研究観測が、年次的に重点を置いて続けられている。オーロラ観測のためのロケット打上げ施設、科学衛星受信施設、気象自動観測装置、地震自動測定装置、電子計算機などの近代的な施設がある。2006年現在53棟の建物(延総床面積約6400平方メートル)があり、毎年約40名が越冬する。小型飛行機も置かれ、海氷上の滑走路を利用している。
1960年10月遭難した福島紳(しん)隊員のケルンは南極史跡の一つである。70年には基地南東約270キロメートルの内陸氷床上に衛星基地「みずほ」が設けられ、超高層物理、気象、雪氷の観測が行われるとともに、内陸調査の基地となっている。
[楠 宏]
『村山雅美著『南極点へ5200キロ――昭和基地の越冬生活と極点征服』(1978・偕成社)』▽『平山善吉著『南極・昭和基地の建物――研究と設計』(2004・丸善プラネット)』
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(原田英美 ライター / 2011年)
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…南磁軸極はほぼ南緯79゜,東経110゜(ボストーク基地近く)にある。オーロラ(極光)の出現頻度の高い地帯は南磁軸極を中心として半径約2500kmのドーナツ状の地域で,昭和基地はこの極光帯にある。大陸内部にあって周辺から最も遠い地点は到達不能極Pole of Inaccessibility(南緯82゜06′,東経54゜58′)と呼ばれるが,ソ連隊(1958年12月14日到達)とアメリカ隊が付近を探査した。…
※「昭和基地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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