デジタル大辞泉 「更生保護」の意味・読み・例文・類語
こうせい‐ほご〔カウセイ‐〕【更生保護】
[補説]更生保護法に基づいて、法務大臣の認可を受けた事業者が運営する更生保護施設では、対象者に更生の意欲があるにもかかわらず衣食住や就職などの面で自立・更生を妨げられるような状況がある場合、一定期間保護し、社会復帰を支援し、再犯の防止に努めている。また、労働意欲の向上、社会復帰への足がかり、地域社会への感謝・貢献などを目的として社会奉仕活動を行う施設もある。
非行、犯罪などの行動に起因して刑罰とか保護処分など、なんらかの司法的処遇を受けた者について、その正常な市民生活への復帰と、一方、刑事政策的には再犯、再非行の防止を目的として行われる保護をいい、それに関する法の体系を更生法(更生保護法)という。第二次世界大戦前は司法保護ともよばれた。更生保護には、本人の意思にかかわらず行われる保護観察(有権的更生保護)と、本人の意思を前提として行われる更生保護(狭義の更生保護または非有権的更生保護)がある。主として有権的更生保護にかかわる立法として犯罪者予防更生法(昭和24年法律第142号)、執行猶予者保護観察法(昭和29年法律第58号)、保護司法(昭和25年法律第204号)があったが、2007年(平成19)、従来の「犯罪者予防更生法」と「執行猶予者保護観察法」を統合した「更生保護法」(平成19年法律第88号)が公布され、2008年に施行された。また、主として狭義の更生保護にかかわる立法として更生緊急保護法(昭和25年法律第203号)があったが、1995年に廃止され更生保護事業法(平成7年法律第86号)に改められた。
[小川政亮]
この種の事業は欧米で早く発達した。日本では1881年(明治14)改正監獄則が「刑期満限ノ後頼ルヘキ所」のない者などに監獄内の別房への在留を許す別房留置制を定めたが、1889年に財政的理由でこれを廃止し、民間事業にゆだねることとした。民間事業としては金原明善(きんぱらめいぜん)による静岡県出獄人保護会社(1888年設立)や、原胤昭(はらたねあき)による東京・神田神保町(かんだじんぼうちょう)の出獄人保護所「原寄宿舎」(1897年設立)が知られる。政府はこの種の事業を奨励し、1907年(明治40)免囚保護事業奨励費取扱手続を定めた。旧少年法施行(1923)、旧刑事訴訟法施行(1924)のころから司法保護事業という名称が一般に用いられるようになった。再犯防止強化のためとして1939年(昭和14)制定の司法保護事業法は、保護対象者の明記、保護方法の標準化、民間保護団体に対する監督・指導などを定めたが、更生緊急保護法制定によって廃止された。
[小川政亮]
狭義の更生保護のこと。懲役、禁錮などの執行を終えたり、執行を猶予されたり、不起訴処分になった者などが、刑事上の手続による身体の拘束を解かれたのち、再犯を防止し速やかな更生を保護するために行われる。更生保護事業法に基づき、帰住の斡旋(あっせん)、金品の給貸与などの一時保護や一定の施設での宿泊の供与、必要な教養、訓練、医療、保養、就職の援助、環境調整などの継続的保護が、本人の申し出があり、かつ保護観察所長が必要を認めたときに、6か月以内を限度に、保護観察所自らにより、または更生保護事業を営む者に委託して行われる。更生保護施設は、法務大臣の認可を受けて更生保護事業を営む更生保護法人などの民間団体によって運営され、保護観察所がその指導に当たる。2010年(平成22)、保護観察所において更生緊急保護を受けた者は1万2675人、更生保護施設に委託されたものは4199人である。
なお更生保護施設は、更生保護事業法による対象者に対する更生保護のほか、保護観察所長の委託を受けて保護観察を受けている者に対する応急の救護を行うこともできる。2009年度から、法務省と厚生労働省が連携し、高齢・障害により自立困難で住居のない受刑者等に対する地域生活定着支援制度が実施されており、更生保護施設は、出所後ただちに福祉による支援を受けることが困難な者を受け入れ、福祉への移行準備や社会生活に適応するための指導・訓練を行っている。そのため、指定された更生保護施設では、福祉専門資格を有する職員の配置やバリアフリー等の施設整備が行われている。
[小川政亮・矢嶋里絵]
『伊福部舜児著『社会内処遇の社会学』(1993・日本更生保護協会)』▽『岩井敬介著『社会内処遇論考』(1993・日本更生保護協会)』▽『大坪与一著『更生保護の生成』(1996・日本更生保護協会)』▽『若木雅夫著『更生保護の父原胤昭』(1996・大空社)』▽『『諸外国の更生保護制度』1~4(1997~2001・法務省保護局)』▽『鈴木昭一郎著『更生保護の実践的展開』(1999・日本更生保護協会)』▽『法務省保護局更生保護誌編集委員会編『更生保護史の人びと 更生保護制度施行五〇周年記念』(1999・日本更生保護協会)』▽『更生保護50年史編集委員会編『更生保護の課題と展望 更生保護制度施行50周年記念論文集』(1999・法務省保護局)』▽『更生保護50年史編集委員会編『更生保護50年史 地域社会と共に歩む更生保護』1、2(2000・全国保護司連盟)』▽『常井善著『更生保護と刑事政策』(2002・日本更生保護協会)』▽『松本勝編『更生保護入門』(2010・成文堂)』▽『法務省法務総合研究所編『犯罪白書』各年版(財務省印刷局)』
広義には,行刑その他の施設内処遇を矯正と呼ぶのに対して,犯罪者の社会復帰を促進するために社会内で行われる公共的な活動一般を指す。狭義には保護観察のように強制的に行われるものを除いた,犯罪者予防更生法(1995改正)の更生緊急保護の規定に基づいて,任意的に行われる,金品貸与,宿泊所供与,就職援助等の犯罪者の更生を保護し援護する活動をいう。
源流としては,古代における赦(しや)の制度にその思想の萌芽をみることができる。《日本書紀》には持統天皇が盗賊を赦免し,夜食を賜ったという記事がみられる。江戸時代に加賀藩が設けた非人小屋(1669)は,施設や作業場を設け,乞食や浮浪者とともに刑余者を収容し良民への更生をはかったもので,日本最初の更生保護施設といえる。1790年(寛政2)に作られた石川島人足寄場は,無宿者や入墨または敲(たたき)の刑に処せられた者を収容して職業補導,授産,教養訓練等を行ったもので,いわば幕府による更生保護施設であった。欧米では,18世紀後半から出獄者の保護の団体が慈善目的で作られていたが,近代的な社会内処遇の制度であるパロール(保護観察付仮釈放,18世紀末以来)や,プロベーション(保護観察付刑の猶予,19世紀半ば以来)の制度も整ってきていた。
明治維新後,1872年の監獄則は刑余者で生計の見通しのない者を懲治場にとどめるという規定を定めたが翌年施行が停止され,1882年施行の〈改正監獄則〉が,刑期満限の後頼るべき所のない者はその情状により監獄の別房にとどめ生業を営ましめるとする別房留置の制度を発足させた。民間においては,金原明善が,1880年に獄中における説教を行うかたわら刑余者の保護も行った静岡勧善会を発足させ,88年には,川村矯一郎らとともに,出獄者を保護し再犯を予防する目的で静岡県出獄人保護会社を設立し,更生保護事業の先駆となった。別房留置の制度は財政上の理由もあって89年に廃止され,政府は有志の慈善者を奨励して保護会社を設立する等の方途を講じるように訓令した結果,各地に釈放者保護団体が設立された。なかでも〈更生保護の父〉と呼ばれる原胤昭(たねあき)は,キリスト教信仰とみずからの入獄の経験をもとに教誨(きようかい)師となり出獄人の保護にあたっていたが,97年の恩赦で大量の出獄人が彼のもとに保護を求めたのを機に東京出獄人保護所を開設し,15年間で1000人以上の保護を行った。これら保護団体の指導,助成を図るため,1913年に中央保護会が設立され,翌年,財団法人輔成会に引き継がれた。少年保護については,1876年ごろより民間人の手による感化事業が興り,1900年には感化法が制定された。しかし感化院の収容能力は脆弱であり,少年保護のための特別立法の必要に迫られ,22年に(旧)少年法が制定された。その中に保護処分として〈少年保護司の観察に付する〉という日本初の保護観察制度や,〈寺院,教会,保護団体又は適当なる者に委託する〉処分等が規定された。成人の保護観察については,36年に思想犯保護観察法が施行され,治安維持法違反者に対し保護観察審査会の決議によって保護観察に付することを定めた。刑余者や猶予者の保護にあたっていた保護事業についても法制化と国庫補助を求める気運が高まり,39年に司法保護事業法が制定され,司法保護団体と司法保護委員が制度化された。
第2次大戦後,民主化のための法制度の大幅な改正が行われ,思想犯保護観察法は廃された。49年に保護の分野の基本法たる犯罪者予防更生法が制定され,犯罪者の社会内処遇の方策として保護観察が制度的に確立された。この法律において初めて〈更生保護〉という表現が用いられた。翌50年に更生緊急保護法が定められ,司法保護事業法は廃止された。また,53,54年の刑法の一部改正で執行猶予に付された者にも保護観察を付しうることになり,これを受けて執行猶予者保護観察法が54年に制定された。95年に更生保護事業法が制定され,更生保護事業を営むことを目的とする法人として更生保護法人の制度が設けられ,更生保護事業に対する国および地方公共団体のバックアップ体制が強化された。更生緊急保護法は廃されて,犯罪者予防更生法の中に刑余者その他の任意保護について定めた更生緊急保護の規定がおかれた。
法務省に〈恩赦及び更生保護に関する事項〉を所掌する内部部局として保護局がおかれ,その地方分局として各地方裁判所所在地ごとに保護観察所がおかれている。そこに配置された保護観察官と保護区ごとにおかれた法務大臣の委嘱する保護司によって,保護観察が実施される。また,矯正施設に収容中の者についても,将来の社会復帰に備えて,帰住予定地の保護観察官または保護司がその者の家族その他の関係者を訪問し,その環境状態の調整をはかる等の活動も実施している。仮釈放の許否を定めたり,保護観察の停止等の処分を行うのは,高等裁判所の所在地ごとにおかれた地方更生保護委員会である。法務大臣の任ずる3人以上12人以下の委員で組織されている。さらにその決定の審査を行う機関として,法務大臣が両議院の同意を得て任命する委員長と委員4人で構成される中央更生保護審査会がおかれている。更生緊急保護は,帰住のあっ旋,金品の給与または貸与等を行う一時保護と一定の施設に収容して必要な教養,訓練,医療,保養,就職を助け,環境の改善調整を図る等の継続保護があるが,本人の申出により,刑事施設からの釈放後6ヵ月の範囲内で,保護観察所の長がみずから行うか,更生保護事業法の規定により更生保護事業を営む者に委託して行われる。
第2次大戦後,刑罰思潮において,犯罪者の改善,更生をはかり,社会復帰を促進することが刑罰の目的の一つであるとする処遇思想の高まりとともに,そのためには,施設拘禁よりもできるだけ自由社会において生活させ補導,援護をはかることが効果的であるという社会内処遇を重視する考え方が伸長してきているといってよい。日本でも,戦後,法務省所管の保護観察所を中心とした組織固めもなされ,更生保護の分野も順調な発展をとげてきている。しかし,1970年代におもにアメリカで起こった犯罪者の社会復帰を促進するための処遇の効果に対する悲観論は仮釈放制度にも批判の目を向け,厳罰を中心とした鎮圧主義へと傾いているとされる。これに対抗するためにも更生保護には社会防衛と犯罪者に対する福祉という両面の課題が課されていることを自覚しつつ,保護司という民間の活力を利用するユニークな制度を活用しつつも,専門的な技術を身につけたソーシャル・ワーカーたる保護観察官が対象者の実質的な補導,援護を行いうる体制の実現が望まれる。
執筆者:岩井 宜子
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