実業家、社会事業家。遠江(とおとうみ)国(静岡県)長上郡安間(あんま)村(現、浜松市東区安間町)に久平(大地主、浜松藩代官)の長男として生まれる。父の後を継いで代官職を務めたが、維新後区長となった。1868年(明治1)以来天竜川治水工事の計画を独力で推進し、1874年天竜川通堤防会社を設立(翌1875年治河協力社と改称)、自邸内に水利学校を付設するなど、全資産をあげて治水事業に献身した。1881年の同社解散(政府が直轄)以後、残された資金で植林事業などの関連事業に着手し、機械製材、運輸をはじめ各種事業を計画、経営した。晩年は、郷里の村長として後進の指導にあたるかたわら、林業振興のための講演旅行を楽しみとした。生涯をかけた治水、植林事業は金原治山治水財団として、また出獄人保護事業は静岡県勧善会として残されている。
[浅野俊光]
『鈴木要太郎著『金原明善翁と其思想』(1937・金原翁伝記刊行会)』▽『御手洗清著『土の偉人金原明善伝』(1944・金鈴社)』▽『永野大七郎著『大地の父――金原明善伝記小説』(1944・東海書房)』▽『中道朔爾著、木原芳樹絵『金原明善』(1944・三省堂)』▽『和田伝著『金原明善――治水と植林の父』(1959・ポプラ社)』▽『金原治山治水財団編・刊『金原明善資料』全2冊(1968)』▽『金原治山治水財団編『金原明善』(1968・丸ノ内出版)』▽『鈴木要太郎著『世界伝記文庫13 金原明善』(1976・国土社)』▽『鈴木要太郎著『金原明善翁余話』(1981・浜松史蹟調査顕彰会)』▽『赤座憲久著、岩淵慶造絵『あばれ天竜を恵みの流れに――治山治水に生涯をささげた金原明善』(1993・PHP研究所)』
(海野福寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
明治・大正期の実業家。遠江国浜名郡の旧家に生まれた。天竜川の治水を念願し,明治維新後政府に請願するとともにみずからも多大の献金をなし,1875年には治河協力社を設立,その総裁専務となる。85年治水事業が政府直轄となってからは山林経営に着手,富士山麓植林,三方原開墾等を手がけ,後年には岐阜県林政にも参与した。実業家として金原銀行を創設(1940年三菱銀行に合併される),井筒屋の商号で各種香油販売を営む一方,私財を投じて出獄人保護事業や済生会事業にも力を注いだ。また和田村村長,静岡県議を歴任,その間各種公共事業に関係した。
執筆者:平賀 明彦
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… 明治維新後,1872年の監獄則は刑余者で生計の見通しのない者を懲治場にとどめるという規定を定めたが翌年施行が停止され,1882年施行の〈改正監獄則〉が,刑期満限の後頼るべき所のない者はその情状により監獄の別房にとどめ生業を営ましめるとする別房留置の制度を発足させた。民間においては,金原明善が,1880年に獄中における説教を行うかたわら刑余者の保護も行った静岡勧善会を発足させ,88年には,川村矯一郎らとともに,出獄者を保護し再犯を予防する目的で静岡県出獄人保護会社を設立し,更生保護事業の先駆となった。別房留置の制度は財政上の理由もあって89年に廃止され,政府は有志の慈善者を奨励して保護会社を設立する等の方途を講じるように訓令した結果,各地に釈放者保護団体が設立された。…
※「金原明善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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