日本歴史地名大系 「有川湾」の解説
有川湾
ありかわわん
五島列島の北端にある湾。有川町の北方、
〔捕鯨の浦〕
慶長三年(一五九八)魚目浦で鯨の突取法が始められ(日本漁業経済史)、同一七年に大村の深沢儀太夫が魚目浦を拠点として突取法による捕鯨を行ったという(鯨史稿・有川町捕鯨史)。儀太夫勝清は紀州熊野での見聞から鯨組が水軍としても機能することを福江藩主に提言して賛同を得ており、鯨組を槍組と称したのもそうした事情によるものであろう。二代目儀太夫は
一方、有川村の地先では寛永元年(一六二四)肥前
〔魚目方と有川方の相論〕
寛永四年有川村庄屋の江口甚右衛門と魚目村庄屋の川崎伝右衛門との相論など早くから海境論が起きている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報