デジタル大辞泉
「有心」の意味・読み・例文・類語
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う‐しん【有心】
- 〘 名詞 〙
- [ 一 ] ( 形動 ) 広く、生物が心の働き、感情の働きをもっていることを表わす。
- [初出の実例]「有心にして無心なる顔をするは」(出典:中華若木詩抄(1520頃)上)
- [ 二 ] ( 形動 ) ( 「深い心がある」の意 ) 深い心の働きのある状態を表わす。⇔無心。
- ① 思慮、分別があること。考え深いこと。
- [初出の実例]「かのじじうでんのはらのみこたちを見よや。うしむにこそ」(出典:宇津保物語(970‐999頃)蔵開下)
- ② 優美な心があること。趣味を解すること。
- [初出の実例]「有心のひと無心のひとえりいでむ」(出典:延喜十六年庚申亭子院殿上人歌合(916))
- [ 三 ]
- ① ( [ 二 ]から転じ ) 文芸、特に韻文学における美的理念の一つ。→有心体(うしんてい)。
- [初出の実例]「恋、述懐などやうの題を得ては、ひとへにただ有心の体をのみよむべし」(出典:毎月抄(1219))
- ② ( 卑俗を旨とする狂歌を「無心」というのに対して ) 優雅を旨とするふつうの和歌。
- [初出の実例]「柿本はよのつねの歌、是を有心と名づく。栗本は狂歌、これを無心といふ」(出典:井蛙抄(1362‐64頃)六)
- ③ 和歌的伝統を重んじた純正な連歌。有心連歌。また、有心連歌の人々。
- [初出の実例]「昔無心が『すにさしてこそ』といふ連歌をしたりしに、有心の中より『あはびがひ』と付たりき」(出典:八雲御抄(1242頃)一)
- ④ 俳諧で、各務支考(かがみしこう)の説いた付句論の七名(しちみょう)中の一つ。前句に出た人物の姿情を見尽くして、その一字一言に心を配り、付句の主体となるべき人物をまず取り決め、その人の動作や感情を付ける方法。〔俳諧・俳諧十論(1719)〕
- [ 四 ] 仏語。ものにとらわれた心。⇔無心。
- [初出の実例]「況乎、仏法以二有心一不レ可レ得。以二無心一不レ可レ得」(出典:学道用心集(1234頃)四)
ゆう‐しんイウ‥【有心】
- 〘 名詞 〙
- ① 思慮、分別があること。
- [初出の実例]「蓋以二有心一見レ天、則流二于災異一。若二漠儒災異之学一、是也」(出典:語孟字義(1705)上)
- ② ⇒うしん(有心)
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有心
うしん
「心あり」ともいう。一般には自然、人事を問わず対象に深い理解をもつことで、そのため思慮がある、情を解するなどの意味となり、その逆が「無心」である。歌の場合、平安時代以降は題詠が普通なので、対象となる題の「本意(ほんい)」すなわち題の真実の性質・状態と考えられていたものに深い理解を示すことが有心とされた。しかも当時の詠歌法は「風情(ふぜい)」(趣向)の巧拙を主眼としたので、有心とはまず巧緻(こうち)な風情を意味し(『天徳(てんとく)四年内裏(だいり)歌合』〈960〉の8番の判詞(はんし)など)、ついで表現された情意の深さとされた。藤原公任(きんとう)(966―1041)の『新撰髄脳(しんせんずいのう)』に区別されている2種の心のうち「をかしき」心が前者に、「深き」心が後者に対応しよう。平安末期になると、この風情中心の詠歌法が変革され、風情よりも、風情を巡らす心の働きに反省が向けられる。すなわち、題の本意を単に知的に扱うのではなく、情意を込めてそのなかに没入し、深奥にある、ことばでは言い表せないものを感得することが要求された。この新しい心の働きを第三の有心とよんでよい。その結果、意味のおもしろさより映像や情調による縹渺(ひょうびょう)とした効果が重視され、それを藤原俊成(しゅんぜい)(1114―1204)は幽玄とよんだが、この手法は藤原定家(ていか)(1162―1241)によってさらに追究されて新古今時代に至る。しかし承久(じょうきゅう)(1219~22)前後からまた厳しい批判や反省がおこり、上記の有心を「やすやすとありのまま」(『八雲御抄(やくもみしょう)』)に表現することが奨励された。定家作と伝える『毎月抄(まいげつしょう)』の有名な有心論もこの段階のものである。その後、幽玄は優美・典雅といった審美的な意味に変わり、歌の本質または理想の境地として位置づけられるが、それとともに有心も歌論の中心課題となった。そのなかで、むしろ有心に幽玄以上の関心を寄せたのが連歌論の心敬(しんけい)(1406―75)と能楽論の世阿弥(ぜあみ)(1363―1443)で、いずれも仏教的な心地修行の厳しさと有心とを一体とみている。ことに後者は、用語の問題ではあるが、有心の語を捨てて「無心」をとり、有心論の極致としての無心論に到達しているのが注目される。
[田中 裕]
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有心 (うしん)
平安朝では日常語として,〈あまり有心過ぎてしそこなふな〉(《枕草子》)など,〈無心〉と対で用いられ,思慮分別や風流心があるという意。中世では,〈柿本は世の常の歌これを有心と名づく。栗本は狂歌これを無心と名づく〉(《井蛙抄》),〈有心無心の連歌〉(《吾妻問答》)など,優雅な和歌やそれに類した優美な連歌をさし,またこのような和歌・連歌の様式美をさす歌学用語ともなった。歌合判詞では,人や歌の心が深くこもることを賞して〈心あり〉とする用例が多いが,この伝統と藤原俊成の幽玄とが母胎となり,藤原定家の有心理念が形成される。とくに〈いづれの体にてもただ有心の体を存ずべきにて候〉(《毎月抄》)など,すべてにわたって基本とされるに及び,中世文学論の重要理念となった。新古今時代には妖艶美に傾斜し,鎌倉末期には理世撫民体と結びつき,思想性,倫理性が付与されるなど,多様な美的様相をも示す。
執筆者:上条 彰次
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有心
うしん
歌論用語。和歌で,深い心があること。歌合判詞 (うたあわせはんじ) などで「心あり」というのも,ほとんど同じ概念。無心の対。連歌論にも転用される。延喜 16 (916) 年に行われた『亭子院有心無心歌合』に「有心の人無心の人」という例があるが,これをも含めて,平安時代の有心は,思慮分別のあることの意の日常語だった。鎌倉時代初期,藤原定家が「定家十体」を設定し,その一体に有心体を加え,しかも歌論書『毎月抄』で,有心体をほかの九体に超越するすぐれた体であると説いて以来,定家歌論を支える美的理念として重視されるにいたった。「心」は「詞」に対する語で,和歌では広くモチーフ,発想の仕方,表現された思想内容などを意味するから,「有心」「心あり」という語も,評せられた作品ごとにかなりの幅をもつと考えられる。『毎月抄』の記述からは,詩想を澄まして,観念の世界で詠むべき対象と融合一致し,その真情をこめるという表現行為,およびそうして得た境地を,「有心」「心あり」といったと解される。余情,妖艶美はこういう表現行為の結果得られる美で,有心そのものではない。 (→有心連歌 )
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有心【うしん】
中世の文学理念の一つ。もともとは〈無心〉に対して〈心有り〉(思慮・分別が深い)ということだが,後鳥羽院,藤原定家のころから,幽玄,長高(たけたかし)とともに和歌における文学美の代表とされた。作品に表現される微妙な情調と,それと不離の関係にある観想の深さをいう。連歌で有心連歌とは,滑稽を主眼とする無心連歌に対して,和歌的な優雅な美の意で,和歌的な作風の連歌のこと。
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