江戸時代の
天文年間(一五三二―五五)には三好・塩川・伊丹氏ら摂津の有力国衆から徳政免許や諸役免除等を内容とする禁制が当寺に付与され(同一八年四月六日「伊丹親興禁制」本興寺文書など)、同一九年には三好長慶と対立していた伊丹親興の和睦会見場所となっている(細川両家記)。摂津国衆から付与された禁制は当寺と門前、あるいは西門前に対して出されたものであり、この頃には寺域の西側を中心に門前町が発達していたとみられる。
浜名湖に面した丘陵にある。法華宗(陣門流)の総本山別院で、常霊山と号する。本尊は大曼荼羅。桜の名所で、湖上はるかに富士山を望む。永徳三年(一三八三)に越後国
法華宗(真門流)。本尊は十界大曼荼羅。当寺の由緒書によれば、もと真言宗
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県尼崎(あまがさき)市開明町にある法華(ほっけ)宗本門流二大本山の一つ。精進(しょうじん)院と号する。開祖日隆(にちりゅう)は京都本能寺の開山でもあり、京都、摂津(大阪府・兵庫県)を中心とする西国での法華宗布教を推し進めた人として有名。1420年(応永27)、摂津国守護細川満元(みつもと)が日隆に帰依(きえ)し、現在の尼崎市東元町に当寺を創建した。以後、日隆は当寺を足場に、兵庫県下だけでも13か寺を開創。1463年(寛正4)に日隆が書いた本能寺法度(はっと)条々では、本能寺と本興寺の両山一寺の制を定めている。その後、本興寺は、伏見宮(ふしみのみや)家など京都公家(くげ)との関係を深め、8世日承(にっしょう)以降代々住職は伏見宮家猶子(ゆうし)となるのを慣例とした。戦国時代には周辺を土居と堀で囲んだ寺内町を形成し、手工業者を集住させて一種の自治都市の景観をなした。1618年(元和4)には尼崎城建設のため現在地に移された。開山堂、三光堂、方丈、木造日隆上人坐像(しょうにんざぞう)、恒次(つねつぐ)銘太刀(たち)は国重要文化財である。
[水谷 類]
静岡県湖西(こさい)市鷲津(わしづ)にある法華(ほっけ)宗陣門(じんもん)流の寺。総本山別院で、常霊山大慈悲院(じょうれいざんだいじひいん)と号する。文晁(ぶんちょう)寺別院。本尊は十界大曼荼羅(じっかいだいまんだら)。もとは真言(しんごん)宗の寺であったが、1383年(弘和3・永徳3)越後(えちご)(新潟県)本成(ほんじょう)寺日陣(にちじん)が改宗。江戸時代に幕府の保護を受け発展した。1552年(天文21)大修理が行われた寄棟(よせむね)造の現本堂は国の重要文化財。ほかに大書院、総門、中門、鐘楼などが残る。また、寺宝のうち、絹本着色法華経曼荼羅図四幅(鎌倉時代)、紺紙金字法華経10巻(平安時代)、同8巻(鎌倉時代)の3点は国の重要文化財。ほかに谷文晁(ぶんちょう)筆の襖(ふすま)絵などがある。
[田村晃祐]
…入出,鷲津を漁港とする湖内漁業は,エビ,カニの水揚げが多く,ウナギを中心とする養殖業も盛んである。鷲津にある法華宗本興寺本堂は重要文化財。小堀流の名園と谷文晁作の四季山水障壁画は広く知られる。…
※「本興寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新